31 魔女は戦わない
第三十一話 魔女は戦わない
三か月後の朝、パンケーキを五枚焼いた。
いおどの皿へ積むと、一番上が少し傾いた。りんごの煮汁を混ぜた生地は柔らかく、重ねるには向いていない。
「約束の五枚」
「ほんとに五枚」
「自分で言ったんでしょ」
いおどは椅子へ座ったまま、皿を見上げている。
襲撃で割れた窓は新しくなった。テーブルも、前と同じ高さのものを探したけれど、木目までは揃わなかった。
いおどの椅子だけは修理して使っている。
背もたれの傷も、脚の裏へ貼った滑り止めも、そのままだ。
「食べられる?」
「育ち盛りです」
「無理なら残していいからね」
「食べます」
最初の一口は、きちんと息を吹きかけてから食べた。
三枚目を狙って火傷した朝から、少しだけ学習している。
柔らかな黒髪は、顎のあたりで切り揃えられていた。眠っている間に片側が潰れ、今朝も少し外へ跳ねている。
手を伸ばして直そうとすると、いおどが頭を振った。
「あとで」
「寝癖ついてる」
頬を膨らませ、不平を言う。
「パンケーキが冷める」
「はいはい」
向かいの席で、ピュリファイアが紅茶を飲んでいる。
澄ましているが、部屋に入る前には防犯設備に引っかかって、けたたましいサイレンを鳴らしていた。
防犯設備の点検をしろ、と言った側が起動させちゃダメでしょ。
彼女の皿には一枚だけ。朝からシナモンを大量に振ろうとして、私に瓶を没収されたところだった。
「お姉様、本日の予定です」
「朝食中」
「十五分押しております」
「誰のせいで五枚焼いたと思ってるの」
「わたし?」
「いおど」
本人は二枚目へ入っていた。
この調子なら、本当に食べ切るかもしれない。
ピュリファイアが端末をテーブルへ投影する。以前と同じように予定が並び、以前より少しだけ項目が増えていた。
「九時より、休養船の選定会議。十時半、第三医療区画の経過観察。午後は新規保護対象の受け入れが一名」
「年齢は?」
「十四歳。変身解除不全が継続中。接触過敏と睡眠障害。戦闘映像の公開停止について、所属企業と交渉中です」
「保護者は」
「同行なさいます。ですが、ご本人との関係は良好とは言い難いようですわ」
端末の文字を読む。
戦闘可能。
魔法出力、基準値以上。
再派遣の可否、要検討。
その三行へ、赤い取消線が引かれていた。
「誰が消したの?」
「わたくしです」
「良い仕事」
ピュリファイアが満足そうに紅茶を飲む。
戦えることは、治ったことを意味しない。
出力が戻っても、眠れない者はいる。武器を握れても、変身の光を見ただけで吐く者もいる。
魔女は戦えなくなった魔法少女ではない。
戦えるまま、戦わなくてよい場所へ下がった者だ。
私も。
ピュリファイアも。
それでいい。
「お師匠様」
「何?」
「四枚目、半分いる?」
育ち盛りは、三枚半で止まったらしい。
「だから無理しなくていいって言ったでしょ」
「五枚って言ったのはわたしなので」
「約束は、食べ切ることじゃないよ」
皿を引き寄せる。
残った一枚半を、私とピュリファイアの皿へ分けた。
いおどは少し考えてから、頷いた。
「いいよ」
まあ、いおどのために焼いたのは五枚だし。
約束は、これでいいか。
◆
午前。休養船の選定会議。
机には三人分の希望票がある。一枚には「海の見えない窓」、一枚には「人の少ない食堂」、最後の一枚には「夜も暖房を切らないで」と本人の字で書かれていた。
医療区画だけでは、こういう希望までは治せない。だから、休む場所も作る。
「海は苦手、と」
会議用の表示から、候補地を一つ消す。
敗北した魔法少女が三人、二週間の休養を希望している。一人は広い水面を見ると、海棲魔物との戦闘を思い出す。もう一人は人混みが苦手で、最後の一人は寒冷地でなければ変身後から残る体熱が下がらない。
有名なリゾート船へ送ればよい、という話ではない。
観光客が少ないこと。
報道端末が入れないこと。
医療設備があり、必要なら幻想公司の医師が同行できること。
三人が同じ部屋へ集まらなくても、互いの存在を感じられる距離であること。
「北方の保養衛星は?」
「温度条件は合います。ただし、今月は軍人向けの慰安枠で埋まっていますわ」
「南極軌道の観測ホテル」
「景色は氷原。宿泊客は研究者が七名だけ。医療室あり。専用通信回線も確保できます」
「食事」
「現地調理です。甘味担当の料理人も」
「そこ」
決定欄へ印を入れる。
観光パンフレットには、静寂と星空を楽しむ十四日間、と書かれている。
私たちの書類では、睡眠周期の回復、集団生活への再適応、変身後に残る体熱の冷却、外部刺激からの隔離。
どちらも嘘ではない。
「慰安旅行という言葉を嫌がる方もおります」
「遊んでるみたいに聞こえるから?」
「戦っている仲間を残して休むことへ、罪悪感があるそうです」
「じゃあ、療養任務にする?」
「任務と呼ぶと、予定を完遂しようとなさいます」
「難しいね」
ピュリファイアが別の書類を開く。
「何もしない練習、と案内へ記載してはいかがでしょう」
「採用」
何もしなくても、食事が出る。
眠っても、誰も死なない。
楽しいと思っても、置いてきた誰かを裏切ったことにはならない。
そういうことを、身体へ覚えさせるための二週間だった。
予約を確定し、匿名移送の手配へ回す。
戦争より、ずっと小さな仕事。
でも、その人の明日には必要な仕事だ。
◆
昼前。
第三医療区画では、私自身が診察台へ座らされた。
「経過観察って、私の?」
「予定表に書いてありましたわ」
「第三医療区画としか」
「書けば逃げるでしょう?」
「逃げない」
「先月、二度」
担当医が記録を読み上げる。
腹部深部の器官は安定。
生体マナ場の統合状態にも異常なし。
ただし、戦闘後から周期的な発熱と睡眠障害が続いている。
淫魔器官が活性化すると、身体は本来存在しない不足を訴える。水分や栄養では埋まらない。特定の生体成分と、それに伴うマナ反応を求めて、熱と焦燥を強めていく。
三年前は、ただ耐えていた。
耐えられなくなると瘴気で器官の働きを鈍らせ、そのたび自分の一部を殺しているような痛みが残った。
今は、そうしない。
医師が保冷箱から、小さなアンプルを取り出す。
乳白色の液体。
半淫魔化後遺症用、生体マナ安定剤。
ラベルにはでかでかと“カワイイスパイス専用”と書かれている。
「一般用とするにはまだまだ不安定ですが、改良を加えました」
私の器官が要求する成分を、培養組織と人工マナ場で再現した試作品だった。何を模しているかは、ラベルに書かれていない。医療記録にも必要な成分名しか載らない。
そのほうが助かる。
アレルギーや安全性を考慮すると、α版未満だ。だが、研究は着実に進んでいる。
「味は改善されました?」
「前回よりは」
「前回もそう言われた」
「今回は香料を変えています」
「何味」
「桃です」
ピュリファイアが横から覗き込む。
「共食いですわね」
「私、桃じゃないけど」
「色合いが」
「黙って」
アンプルの封を切り、飲む。
桃というより、薬品へ甘い香りを足した味だった。喉を通ると、腹の奥へ熱とは別のものが広がる。
身体が探していたものと形が合う。
それだけで、背骨の内側に溜まっていた火照りが少しずつ冷めていった。呼吸が深くなり、無意識に力を入れていた指が開く。
「効果あり」
医師が記録する。
私は空になったアンプルを見る。
これも、救済事業の仕事だ。
魔法少女だった者が、変わってしまった身体で生きるための方法を探す。元へ戻すことだけを成功にせず、今ある身体が苦しまない形を作る。
私が支部長でも、例外ではない。
「今回分は七本処方します」
「多くない?」
「定期的に使用してください」
「必要になったらでいいでしょ」
「必要になる前に、です」
ピュリファイアが箱を受け取った。
「管理はわたくしが」
「自分でできる」
「先月、二度」
「分かったってば」
医師が笑いを堪えている。
治療される側は、どうにも格好がつかない。
それでも、もう嫌ではなかった。
◆
午後、新しい保護対象を乗せた連絡艇が到着した。
十四歳の少女は、青い変身衣装の袖口を握りしめていた。
幻想公司の魔法少女隊へ所属して一年。
変身衣装は解除されていない。青い光の布が皮膚へ貼りつき、背中の術式が時折強く明滅する。明かりが変わるたび、握った袖口と少女の肩が跳ねた。
母親らしい女性が半歩後ろにいる。
娘へ触れようとして、触れられない。
周囲には医療班がいた。
警備員はいない。
私は武器を持たず、発着場へ出た。
少女が私の髪を見る。
次に、目。
それから身体へ残った、半淫魔のマナ場。
「カワイイスパイス」
名前だけは知っていたらしい。
「元魔法少女」
「うん」
「魔女」
「そう」
少女の指が、自分の変身衣装を掴む。
「ここへ来たら、治る?」
三か月前の私なら、分からない、と答えた。
今も、分からないことは変わらない。
元の身体へ戻れるか。
もう一度、戦えるようになるか。
戦う前の自分を思い出せるか。
保証はできない。
でも、約束できることは増えた。
「眠れるようにはする」
少女がこちらを見る。
「痛みも減らす。戦闘映像は止める。元の学校へ戻りたくなければ、別の場所も探す。海が嫌なら、海のない休養先を選ぶ」
「戦わなくても?」
「戦わなくていい」
「でも、契約が」
「それはピュリファイアが戦う」
後ろで、ピュリファイアが微笑んだ。
企業との交渉を任せたときの、綺麗で怖い顔だった。
「お任せくださいませ」
少女の母親が、ようやく少し息を吐いた。
私は少女へ手を差し出す。
触れられるのが嫌なら、取らなくていい距離で止める。
「ようこそ、ピュアコットンへ」
少女は手を見つめた。
すぐには取らない。
それでいい。
返事を待つ間、薄桃色の瘴気が発着場を通り抜けた。少女の変身衣装へまとわりついた異常増殖を避け、空調路に残っていた病原体だけを死なせていく。
誰かを殺すためではない。
明日まで生かすための死。
やがて、少女の指が私の掌へ触れた。
弱い力。
それでも、自分から動かした手だった。
◆
夜。
いおどは、自室のベッドで眠っている。
おかっぱの黒髪が頬から後頭部へ丸い輪郭を作り、布団から片手だけが出ていた。額へ触れても熱はない。
夢船ピュアコットンの外では、薄桃色の瘴気が空を覆っている。
その影響下で、いおどは今日も風邪を引かない。
医療区画では、新しく来た少女が眠るための薬を受け取っている。遠い保養衛星へは、三人の元魔法少女を乗せた艇が向かっている。
私の机には、明日の仕事が十六件残っていた。
前線の案件は、私の机には載らない。
載せるべきでもない。
私は戦える。
星ひとつを相手にして、帰ってきた。
助けを求めることも知った。
一人で終わらせなくてよいことも。
その上で、戦わない。
いおどの布団を直し、部屋の明かりを落とす。
廊下へ出ると、ピュリファイアが書類の束を抱えて待っていた。
「まだ働くの?」
「お姉様の決裁待ちです」
「明日」
「明日の朝は、パンケーキでは?」
「じゃあ今」
並んで事務室へ戻る。
戦場へ向かう足音ではない。
死よ死すべし。
その星では今日も、誰かが明日まで生き延びる。
【THE WITCH OF MIASMA:本編完】
【短いおまけがございます】