28 滅びる母船
第二十八話 滅びる母船
涜船エグジラが、死に始めた。
ノワルミアの身体から心拍が消えた直後、処刑場を支えていた床が中央から沈んだ。生体核を囲む装甲骨格が互いを噛み、砕けた破片を赤黒い筋肉が呑み込んでいく。
自動音声が、自壊工程の進行を繰り返している。
――中央塔、支持率六十一パーセント。
――重力維持機構、同期不能。
――第九生体炉、封鎖失敗。
星ひとつ分の機関が、主人を失った。
ノワルミアに統合されていた命令系統は、彼女の死を敗北ではなく、敵による中枢奪取と判断したらしい。都市も、工場も、船内に残る生命もろとも、自分を焼却しようとしている。
「趣味悪い」
言った途端、足元が傾いた。
ピュリファイアが私の腰を抱えたまま、白い障壁を床へ打ち込む。花弁状の面が亀裂を跨ぎ、辛うじて足場を固定した。
「感想には同意しますが、立てまして?」
「たぶん」
「信用できない返答ですこと」
右肩は折れている。首の傷もまだ塞がっておらず、息を吸うたび脇腹が痛む。さっきまで残っていた片翼は、最後の攻防で瘴気へ崩した。
それでも、自分の足で立った。
立てるなら、歩ける。
処刑場の壁面へ、外部通信が一斉に開いた。ノワルミアの死によって遮断が解けたのか、怒号と警報が流れ込んでくる。
『全隊へ。作戦目標を更新する』
コーポ・アレス統合艦隊司令の、硬い男の声だった。砲撃音に負けず、母船内外の回線へ通る。
『敵性戦力の排除を停止。以降、救命および撤収を最優先とする。武装を解除した生体兵器、実験体、非戦闘員を区別するな。歩ける者には歩かせろ。歩けない者は運べ』
別の回線で、幻想公司の指揮が重なる。
『魔法少女隊は構造支持へ移行。攻撃術式を解除し、障壁出力を船内区画へ集中。アレス軍の救助経路を維持してください』
戦争が終わったわけではない。
でも、戦う時間は終わった。
遠くの通信窓で、ワイバーンへ向けていた砲身が下がる。翼を傷つけた生体兵器の下へ魔法少女が障壁を広げ、その横をアレス軍の装甲車両が通過した。
車体から伸びた実体杭が崩れかけた外壁へ打ち込まれ、物理的な支柱になる。
魔法で受け、鉄で保たせる。
ここへ来たときは、星ひとつを殺すための軍勢に見えた。
今は、星の中にいる者を生かすために動いている。
「私たちも」
「ええ。帰り道にいる方を、全員拾いますわ」
ピュリファイアがノワルミアの死体へ一度だけ目を向ける。
何も言わない。
私も振り返らなかった。
◆
処刑場から中央避難軸までは、直線なら二百メートルほどしかない。
その二百メートルが、もう同じ形を保っていなかった。
通路の左半分は内側へ潰れ、天井を走っていた血管が床まで垂れ下がっている。赤い非常灯の下で、培養液と消火剤が混ざり、足首まで溜まっていた。
その中を、解放された実験体たちが進んでいる。
自分の脚で歩ける者は少ない。命令器官を失ったばかりで重心を思い出せない者、兵器化された腕が重すぎて身体を支えられない者、呼吸のたびに管の抜けた胸を押さえる者がいる。
アレス軍の重装歩兵が二人ずつ肩を貸し、装甲車両へ運んでいた。
床の瘴気へ意識を広げる。
心拍が七つ。
いや、八つ。
崩れた壁の奥に、小さい呼吸がある。
「右。壁の向こう」
私が示すと、重装歩兵の一人が即座に実体カッターを取り出した。刃が装甲材へ食い込む。だが、壁そのものが収縮して傷口を閉じ、切断面を呑み込んでいく。
エグジラの自己修復が、救助を邪魔している。
「下がって」
薄桃色の瘴気を亀裂へ入れた。
殺すのは修復細胞ではない。自壊工程から送られている閉鎖命令だけを止める。
壁の収縮が緩んだ。
実体カッターが今度こそ装甲を切り開く。重装歩兵が腕を差し込み、内側から幼いハーピィを抱き出した。
片方の翼が折れている。
意識はないが、息はある。
「医療車へ!」
兵士が走る。
その背中へ、天井の支持骨が落ちてきた。
白い障壁が間へ入る。
ピュリファイアは片手で骨を受け、もう片方の手を私へ伸ばした。
「お姉様、右腕を」
「折れてる」
「存じております。だからこちらへ」
触れた指から白い火が入り、骨折部へ絡んでいたマナの乱れを焼いた。治療ではない。痛覚の暴走と、変身衣装が誤って続けている出力だけを止める。
腕は上がらないまま。
でも、痛みで意識が途切れることはなくなった。
「ありがとう」
「今度は素直な言葉が聞けましたね」
ピュリファイアが障壁を傾ける。支持骨を壁際へ滑らせ、通路を空けた。
「あとで、もう一度言う」
「回数で許されようとしていませんこと?」
「ちょっとだけ」
笑うと首が痛んだ。
それでも、今は笑えた。
通信端末が、新しい避難経路を表示する。
中央避難軸を抜ければ、アレス軍が確保した第三区宇宙港へ出る。救命艇の残数は四。この避難経路だけでも、生存反応はまだ何千も残っていた。
時間がない。
私たちは歩けない者を運びながら、中央へ進んだ。
◆
避難軸の手前で、通路が脈打っていた。
幅四十メートルを超える環状器官が、中央塔を締めつけている。輸送路を開閉する巨大な弁が、自壊命令で何層もの筋肉と装甲板を収縮させていた。
一度閉じれば、避難軸は完全に潰れる。
すでに隙間は三メートルもない。
向こう側には、救命艇へ向かう実験体が何十人も取り残されている。
アレス軍の装甲車両が、閉じる器官へ車体を挟んでいた。四本の支持脚を床へ打ち込み、油圧で押し返している。装甲が軋み、前部がゆっくり潰れていく。
「物理固定、限界まで二分!」
「障壁を追加します!」
幻想公司の魔法少女が三人、車体の両側へ反発障壁を重ねた。閉鎖圧が白、青、黄色の面へかかる。マナ障壁だけでは重い実体圧力を保たせられず、装甲車両だけでは筋肉の再収縮へ追いつかない。
両方を合わせても、時間を稼ぐので精一杯だった。
「命令だけを殺せないのですか」
ピュリファイアが訊く。
瘴気を伸ばして調べる。
閉鎖命令は見つかった。だが、すでに器官全体へ自壊用の薬剤が流れ込み、神経も筋肉も別々の周期で暴走している。
「遅い。命令を止めても、縮み始めた部分が止まらない」
「切断は」
「厚すぎる。外側から一枚ずつ殺してたら、先に通路が潰れる」
ピュリファイアが環状器官を見上げた。
「では、内側から壊しましょう」
「どうやって」
「お姉様」
青い瞳が、少しだけ楽しそうに細くなる。
「お忘れですの?」
忘れていたわけではない。
使わないようにしていた。
敵へ何が起きるか、私にも完全には選べない。引いた異常が弱ければ足止めにしかならず、組み合わせが悪ければ必要以上に苦しませる。
十六歳の私は、それを運任せの技だと思っていた。
でも、今なら。
生きている場所を読み、異常を置く場所まで選べるかもしれない。
「合わせられる?」
「誰に仰っていますの」
「三年ぶりだよ」
「三年程度で、あなたの癖を忘れるとでも?」
環状器官が収縮する。
装甲車両の前部が大きく凹んだ。
残り二分は、もうない。
私は壁へ左手を置いた。
ピュリファイアが、その上へ自分の手を重ねる。
昔は背中合わせだった。
今は同じ方向を見ている。
「配るよ」
「存分に」
薄桃色のマナを、環状器官の内部へ広げる。
《ケイオスディーラー》。
崩壊する母船を一つの患者に見立て、この弁だけを、もう救えない臓器として切り離す。
最初に出たのは麻痺。収縮している筋肉へ置く。
次は痙攣。その隣の層へ。凝固と出血は別々の血管へ流し、過剰増殖と再生阻害は修復組織へ分ける。感覚神経には痛覚過敏が入り、装甲を包むマナ場には位相不調が混ざった。
互いに反対の異常を、同じ器官の別々の層へ配っていく。
何を引くかは選べない。
それでも、引いた異常をどこへ配るかは、今の私なら選べる。
環状器官の収縮が乱れた。
麻痺した層を、痙攣する層が引き裂く。固まった血管の隣で出血が始まり、増えようとする細胞が、自分で修復を止めている。
それでも、壊れない。
エグジラの巨大な器官は、異常を抱えたまま閉じようとしている。
ここからが、彼女の技だ。
ピュリファイアの白い火が、私の薄桃色を追って入った。
「不調を確認」
声が近い。
「麻痺、痙攣。凝固、出血。過剰再生、再生不全。位相接続にも複数の不整合」
「直せる?」
「もちろん」
彼女の言う、治す、は普通の意味ではない。互いに反対の異常を、さらに食い違う方向へ正常化する。
矛盾した治療が、異常を消すのではなく完成させていく。
「《ケイオスフィクサー》」
白い炎が、環状器官の中心で咲いた。
音が消える。
次の瞬間、麻痺した層は完全に動きを失い、痙攣する層だけが限界を超えて収縮した。血流は行き場を失って内側から破裂し、過剰再生した組織が装甲板の継ぎ目を押し広げる。
位相不調を修復しようとした包絡は、ずれた座標を正しいものとして固定した。
一つだった器官が、互いに食い違う何十もの正常を持つ。
同じ場所に存在できない。
環状器官が、内側から割れた。
赤黒い筋肉と装甲板が外へ開き、収縮圧が消える。アレス軍の装甲車両が前へ跳ね、重装歩兵たちが慌てて支持脚を解除した。
中央避難軸が開く。
向こう側から歓声が上がった。
「相変わらず、ひどい技」
「お姉様の配り方が悪いのですわ」
「直したのはピュリでしょ」
「完治させました」
「患者が死んでる」
「器官です」
言い切ったピュリファイアの膝が折れた。
今度は私が支える。
右腕は使えない。左肩へ彼女の腕を回し、二人で壁にもたれた。
「無茶するね」
「あなたにだけは言われたくありません」
その返しも、三年前と同じだった。
◆
開いた避難軸へ、人の流れが入る。
魔法少女隊は障壁を天井へ移し、アレス軍は潰れた装甲車両をその場へ残して救助を続けた。武器を持つ者も、翼のある者も、培養槽から出されたばかりの者も、同じ矢印に従って宇宙港へ向かう。
私とピュリファイアも、その列の最後尾へ入った。
走れない。
急ぎたいのに、身体はもう歩く速さしか出せない。
何度も立ち止まり、壁の向こうの心拍を探した。見つけるたびに位置を伝え、アレス軍が装甲を切り、魔法少女が崩落を支える。
一人。
また一人。
全員を拾えているとは思わない。
エグジラは広すぎる。瘴気が届いても、瓦礫の下へ手を入れられるわけではない。
それでも、見つけた命を数だけにはしない。
中央塔の崩壊率が八十パーセントを超えた頃、最後の救命艇が発進区画へ移された。
『第三区宇宙港、残存艇一。搭乗完了まで百二十秒』
通信に、別の声が割り込む。
『待って! 東連絡路に二名いる!』
監視映像が開いた。
崩れる通路を、長い兎耳の男が走っている。片脚のジェットは火を噴かず、右腕のアームブレードも半ばから折れていた。
ルノフェット。
その後ろに、ヘーゼルのポニーテールの女がいる。
|琴織《コトオリ》|此希《シキ》。
彼女はリボルバーを握ったまま、何度も背後を振り返っていた。追手はいない。崩落へ銃を向けても、落ちてくる天井は止められない。
「東連絡路を開けます!」
魔法少女が障壁を伸ばす。
アレス軍の兵士が宇宙港の隔壁へ実体杭を撃ち込み、閉鎖機構を固定した。
二人が走り込んでくる。
ルノフェットが先に境界を越え、振り返った。
此希は足を止めた。
救命艇の前には、コーポ・アレスの兵士がいる。幻想公司の魔法少女もいる。彼女にとっては、ついさっきまで敵だった者たちばかりだ。
リボルバーが上がる。
何人かの兵士が反射で銃へ手をかけた。
でも、抜かなかった。
ルノフェットも武器を構えない。
「来なよ」
崩落音の中で、彼の声だけが通った。
「誰を撃つかは、自分で決めたんだろ。次は、どこへ行くかを決めればいい」
此希は救命艇を見る。
自分の手を見る。
赤い警報灯が、黒い銃身を何度も照らした。
やがて、彼女の指が開く。
リボルバーが床へ落ちた。
|此希《シキ》は銃を拾わなかった。
最後の救命艇へ、自分の足で乗り込んだ。
私とピュリファイアも救助列の最後尾に続き、閉じかけた扉の内側へ入った。