MEKHANES NAVISメーカネース・ナーヴィス

22 命令を拒む

第二十二話 命令を拒む  帰還命令は、救護艇の扉が閉じる前に届いた。  “救出対象の収容を確認”  “潜入任務を終了”  “ルノフェット・ラビットイヤーは直ちに帰還せよ”  簡潔で、正しい命令だった。  ボクは四つ並んだ保守繭の固定具を確かめ、最後にいおどの繭へ触れた。  乳白色の蓋越しに、小さな手が重なる。  体温は分からない。内側の表示には、安定した心拍と呼吸が出ている。  「ここからは、お医者さんの言うことを聞いてね」  「ルノフェットさんは?」  「ちょっと忘れ物」  「お師匠様?」  「あの人は、もっと強い人が迎えに行くよ」  その言葉が正しかったと知ったのは、いおどたちを救護艇へ引き渡した直後だった。白い炎が、エグジラの中央塔へ落ちていくのを見た。  カワイイスパイスが待っていた相手。  たぶん、あの白い魔法少女だ。  「じゃあ、何を忘れたんですか」  六歳の質問は鋭い。  答えを考えている間に、救護兵が繭の固定を終えた。幼体二人の容体を読み上げ、四つ目の繭の前で声を止める。  「この収容者は?」  「西第七培養区で回収。意識はあるけど、ほとんど反応しない。命令装置は沈黙中。首輪は触らないで」  「了解。生体汚染検査後、隔離治療へ回す」  四つ目の繭は、ほかより汚れていた。  西第七培養区の床に半分沈んでいたものを、そのまま使ったからだ。  ◆  少し前。西第七培養区へ向かう搬送路。  カワイイスパイスと別れたあと、ボクは運搬台を西へ押した。  指揮生体核が止まり、隔壁は開いていた。それでも子供三人を乗せた台は重く、片方が壊れた脚部ジェットでは真っ直ぐ進まない。右へ逸れるたびに壁を蹴り、向きを戻した。  西第七培養区は、扉だけが開いていた。  中の照明は消え、培養槽の非常表示が床を青く染めている。並んだ槽の大半は空だった。残った液体の中にも、心拍はない。  一つだけ、生きている反応があった。  通路の奥。  排液溝の横に、誰かが座っている。  年齢も性別も、暗がりではよく分からなかった。短く刈られた髪。薄い培養衣。首輪から背中へ管が伸び、壁の接続口へ繋がっている。  こちらを見ている。  逃げない。  襲ってもこない。  「迎えに来たよ」  返事はなかった。  近づくと、首輪に文字が流れていた。  “待機”  その一語だけ。  「外へ出る。立てる?」  相手は動かない。  足が悪いのかと思い、膝をついて調べた。傷はあるが、骨は繋がっている。筋肉にも立てないほどの損傷はない。  もう一度、言う。  「立って」  相手は立った。  ボクが言ったからだ。  「歩ける?」  「歩行機能、正常」  「じゃあ、こっちへ」  一歩ずつついてくる。  命令装置を切るため、壁へ繋がった管を調べた。生命維持と制御の経路が混ざっている。無理に引き抜けないのは、あのガンスリンガーと同じだった。  接続口の根元だけをアームブレードで切り、管を残す。  首輪の表示が消えた。  相手も止まった。  「どうしたの」  「命令を」  「もうないよ」  「次の命令を」  暗い目が、ボクを見る。  それ以上の言葉を持っていないようだった。  何をすればいいか聞いているのではない。  誰かに決めてもらわなければ、動けない。  ボクは空の保守繭を開いた。  「ここへ入って。外へ出たら、治療を受ける」  相手は素直に従った。  蓋を閉める直前、ふと思って聞いた。  「名前は?」  返事はなかった。  首輪が黙っているからではない。  あのガンスリンガーと同じで、答えの入る場所が空いている。  「今はいいや」  生命維持を起動する。  「そのうち、自分で決めて」  何を。  どこへ行くか。  どう生きるか。  名前を取り戻すのか、新しく選ぶのか。  全部を一度に渡すには、多すぎる。  繭の蓋が閉じた。  そのときは、それで助けたつもりだった。  ◆  現在。保守港。  救護艇の扉が閉じていく。  いおどの手が見えなくなる直前、指先が蓋を二度叩いた。  「忘れ物、ちゃんと持って帰ってきてください」  「了解」  扉が閉じた。  艇体が保守港の床から離れ、外郭の発進口へ向かう。上空ではマナ弾と実体弾が交差し、白い障壁が赤紫の砲撃を受け流していた。  帰るなら、あれへ乗ればよかった。  命令もそう言っている。  “直ちに帰還せよ”  視界の端で表示を閉じた。  代わりに、潜入中に設置した誘導ビーコンを確認する。  保守港に一基。  中央搬送路に二基。  東区画に一基。  外ではコーポ・アレスの強襲艇が障壁を破り、重装歩兵を降ろし始めていた。けれど、外郭から内部へ入れたとしても、エグジラの通路は勝手に開かない。隔壁の認証を奪い、処分装置を止め、救出路を繋ぐ者が要る。  そのための鍵を、ボクは持っている。  作戦上の理由としては、十分だった。  それでも足は重い。帰れる場所を背にして、もう一度、崩れ始めた母船へ向こうとしている。  端末が振動する。  帰還命令への返答を求めるものではない。  状況報告だけが送られてきた。  “中央命令系、脱走実験体の全処分を指示”  “内部誘導ビーコンの維持を要請”  “行動判断は現場員へ委任”  最後の一行を二度読む。  帰れとも、戻れとも書いていない。  意地の悪い上官だ。  ボクがどちらを選ぶか、たぶん分かっている。  表示の下へ、処分命令の対象一覧が流れた。  培養区画から逃げた実験体。  命令接続が切れた生体兵。  敵性へ移行した管理個体。  東区画射撃個体。  識別名の欄に、別の文字が追加されている。  |琴織《コトオリ》|此希《シキ》。  「名前、あるんじゃん」  本人が覚えていない名前。  オブリビオンの記録には残っていた。  それが本当に彼女のものかは、本人へ聞かなければ分からない。  保守港の奥で爆発が起きた。  上では連合軍が外郭へ穴を開けている。エグジラの構造が軋み、天井から赤黒い粉が落ちてきた。  ボクは救護艇の航跡へ背を向ける。  「中で見つけた人間を見捨てろって命令は、受けてないからね」  誰に言い訳したのかは分からない。  左の脚部ジェットを噴かす。  遅れて、壊れかけた右も。  身体は少し右へ流れた。  壁を蹴って修正し、エグジラの中へ戻る。  ◆  東区画、射撃個体の担当区域。  東区画へ近づくほど、銃声がはっきりした。  一発ごとの間隔が長い。  あのリボルバーだ。  此希は連射しない。撃った魔弾がどこを走り、どれだけ加速し、どの壁で復相するかを見てから次を撃つ。  ただし、今の銃声は妙だった。  着弾音がない。  魔弾が通路を走っている気配も、壁の内側から返ってくる振動も聞こえない。銃声だけが規則正しく響いている。  威嚇射撃か。  命令を満たしたふりをしているのか。  最後の角を曲がる。  広い搬送路に、十人ほどの実験体がいた。  足を引きずる者。  片方の翼が育ちきっていない者。  手首を拘束具で繋がれたまま走る二人。  その背中へ、此希がリボルバーを向けている。  銃口は真っ直ぐだった。  けれど、床には等間隔の穴が開いている。  全て、逃げる者の足元からわずかに外れた位置。  命令は実行している。  命中だけを拒んでいる。  此希の首輪には、新しい管が繋がっていた。  前に切った監視線ではない。天井から伸びた細い生体管が首輪の側面へ刺さり、赤紫の光を脈打たせている。  “脱走個体を処分”  “射撃継続”  “意図的失中を検出”  最後の表示が赤くなる。  此希の右腕が痙攣した。  銃口が持ち上がり、逃げる一人の背中へ合う。  今度は外せない。  「やめて!」  声と同時に、脚部ジェットを噴かした。  此希と実験体の間へ滑り込む。  銃口がボクの胸を向いた。  距離は十五メートル。  彼女の魔弾には近すぎる。ここからなら飛翔中の加速はほとんど乗らない。  それでも、撃たれれば死ぬ。  今のボクは障壁を持っていない。右肩は焼け、脚部ジェットも片方が壊れている。  左右のアームブレードは展開しなかった。  「退け」  |此希《シキ》が言う。  前より声が掠れている。  「命令?」  「退け」  「誰の?」  「敵性個体は、排除する」  「ボクのこと?」  「脱走個体の処分を妨害する者は、敵性と判定される」  「それも仕事の話だね」  此希の指が、引き金へ力をかける。  撃てないのではない。  撃ちたくないのでもないかもしれない。  命令どおり撃とうとする身体と、ここまでわざと外してきた何かが、同じ指を引っ張っている。  「キミの名前、記録にあったよ」  |此希《シキ》の瞳が揺れた。  「琴織|此希《シキ》」  「識別情報を」  「名前じゃない?」  「敵性個体による情報汚染」  「じゃあ、信じなくていい」  銃口から目を逸らさず、両手を開く。  武器を持っていないと見せるため。  それ以上に、今度はボクが答えを決めないため。  「後ろの人たちを撃つか、ボクを撃つか。それとも撃たないか。誰を撃つかは、自分で決めて」  此希が息を呑んだ。  「命令は、処分」  「聞いてないよ」  「脱走個体を」  「それはキミの命令じゃない」  「アタシの」  言葉が止まる。  此希自身が驚いた顔をした。  アタシ。  所属でも、分類でもない。  命令書の文章にもない一人称。  「そう」  ボクは頷く。  「アタシが、どうするか」  銃口が震える。  背後で、逃げていた実験体たちが足を止めていた。通路の先は隔壁で塞がれている。ボクのビーコンが認証を送り続けているが、中央から別の命令が上書きし、開閉機構を奪い合っていた。  早くしろとは言えない。  此希に必要なのは、新しい命令ではない。  天井の管が強く脈打った。  首輪の表示が切り替わる。  “射撃個体、命令抵抗”  “監視役による強制執行へ移行”  “執行完了後、射撃個体を廃棄”  搬送路の側壁が開いた。  中から、背の高い生体兵器が出てくる。  細い四肢に、顔の半分を覆う観測器官。六本の指からは、制御用の管が伸びている。  武器は持っていない。  代わりに、此希の首輪へ繋がる管を握った。  監視役が指を曲げる。  此希の背中が反った。  「あ、ぐっ」  右手が勝手に上がる。  銃口はボクを越え、その後ろにいる実験体へ向いた。  監視役は此希の身体を射撃台として使うつもりだ。  ボクは右腕を動かしかける。  アームブレードで監視役を切る。  間に合うか。  距離は二十メートル。  脚部ジェットで踏み込めば、此希が撃つほうが早い。  残る包絡弾を使えば。  いや。  三発目は遅延復相弾だ。監視役を撃てても、此希の首輪へ繋がった管の内側で復相する位置までは読めない。  「|此希《シキ》!」  呼ぶ。  それが彼女の名前か、まだ分からない。  此希の目がこちらを向いた。  「ボクは撃たない」  監視役が管を引く。  引き金にかかった指が沈む。  「キミが決めて!」  銃声。  赤紫の光が、ボクの頬を掠めた。  後ろから悲鳴が上がる。  外したのか。  違う。  魔弾はボクの横を通過し、長い搬送路を飛ぶ。  監視役とは反対方向。  誰もいない壁へ向かって。  けれど、此希の魔弾はそこで終わらない。  壁へ浅く触れ、マナ相へ沈む。  内部を走り、十分な距離を稼いでから、側壁の裏で復相した。  赤紫の光が、監視役の背後から飛び出す。  観測器官を貫いた。  監視役の頭部が前へ弾ける。  管を握っていた六本の指が開き、此希の身体から力が抜けた。  膝をつく。  それでも、リボルバーは落とさない。  此希が自分で選び、自分で作った射線だった。  壁を回り込ませ、命令を送る者だけを撃った。  「……アタシが」  掠れた声。  此希は倒れた監視役を見る。  「アタシが、撃った」  「うん」  「命令じゃ、ない」  「うん」  肯定するたび、彼女の顔が苦しそうに歪む。  自由になった顔には見えなかった。  初めて自分で誰かを撃ったのだ。  たとえ相手が自分を操っていたとしても、選んだ責任まで消えるわけではない。  それでも。  後ろの実験体たちは生きている。  此希も生きている。  エグジラの警報が一段高くなった。  “東区画射撃個体、敵性へ移行”  “識別名、琴織|此希《シキ》”  “処分許可”  「ずいぶん早い所属変更だね」  ボクはアームブレードを展開し、此希の首輪へ伸びる管を切った。  今度は迷わない。  生命維持の管ではなく、監視役から追加された制御線だと見ている。  赤紫の表示が消えた。  此希が自分の足で立つ。  「後ろの人を連れて、隔壁まで走って」  「アンタは」  「開ける」  「それは命令か?」  強気な目が戻っていた。  虚勢かもしれない。  今は、それで十分だ。  「お願い」  「……分かった」  |此希《シキ》が振り返る。  「こっちだ! 動ける奴は自分で走れ! 動けない奴を支えろ!」  実験体たちが動き始める。  今の言葉は命令に似ていた。  でも、首輪から流れたものではない。  ボクは閉じた隔壁の端末へ、内部鍵を接続する。  認証拒否。  もう一度。  拒否。  中央命令系が、この区画を切り離そうとしている。  床が揺れた。  外からの砲撃ではない。  隔壁の前後で、構造固定具が外れている。  「急いで!」  端末へビーコンの全権限を流し込む。  扉が数センチ開いた。  アームブレードを隙間へ入れ、両腕を開く。駆動部が抵抗し、刃の基部から警告が出た。  実験体が一人ずつ通る。  翼の片方しかない者。  手を繋がれた二人。  足を引きずる者は、此希が肩を貸して運んだ。  「次!」  最後の一人が隙間を抜ける。  此希が続く。  その瞬間、天井から第二隔壁が落ちた。  「此希!」  ボクは左腕を伸ばす。  彼女も手を出した。  届かない。  黒い隔壁が、二人の間へ落ちる。  轟音。  床が跳ね、ボクの身体が後ろへ飛ばされた。  起き上がる。  最初の隔壁は開いたままだ。  救出した実験体たちは、こちら側にいる。  此希だけがいない。  端末を見る。  第二隔壁の向こうで、床と壁の接続が崩れ始めている。エグジラが敵性区画を丸ごと切り離し、外郭の崩壊へ落とそうとしていた。  通信は繋がらない。  隔壁へ拳を叩きつける。  「|此希《シキ》ーッ!」  返事は聞こえない。  代わりに、腰の後ろで一本だけ残った弾が硬い音を立てた。  三発目。  遅延復相弾。