16 三年前の手術台
第十六話 三年前の手術台
記録映像の中で、機械の腕が降り始めた。
十六歳の私は、白い手術台へ固定されている。
手首。
足首。
胸の下。
拘束具の位置まで覚えていた。
映像には音声も残っている。浅い呼吸と、器具が触れ合う硬い音。口へ噛まされた管の隙間から、何かを訴えようとする声。
自分の声なのに、言葉は聞き取れなかった。
「再生を止めて」
博士は動かない。
「まだ始まったばかりだよ」
「私は全部、覚えてる」
「いいや」
ペストマスクが白い映像を向く。
「君が覚えているのは痛みと恐怖だ。処置の目的も、手順も、術後に何が起きたかも知らない」
「知る必要がある?」
「君の身体の話だ」
その言葉を、この人が口にする。
奥歯へ力が入った。
ノワルミアは玉座へ腰掛け、頬杖をついている。私の過去も、博士の講義も、すでに所有している資料を再確認する程度にしか見ていない。
「続けよ」
彼女が命じる。
博士ではなく、映像が従った。
◆
画面の端へ、術式図が表示される。
人の身体を正面から描いた輪郭。
胸部には、死のマナ場を示す灰色の光。十六歳の私が元々持っていた、死を司る魔法の中心だ。
その下。
腹部深くへ、赤紫の器官が描き加えられた。
「淫魔器官」
博士が図を拡大する。
「生体マナを読み、他者と接続し、生命活動を活性化する。一般的な淫魔なら成長とともに形成される器官だが、君には培養したものを移植した」
図の中で、赤紫の器官から細い根が伸びる。
腹部の血管。
自律神経。
マナ経路。
そして、子宮。
「定着には、血流と神経が豊富で、生命を育てる機能を持つ場所が適していた。そこで子宮へ接続した。器官単独ではなく、周囲の組織を足場にして生きる設計だ」
説明は医療的だった。
だからこそ、逃げ場がない。
自分の身体の一部を、知らない者たちが設計図の空白として使った。
「妾らの判断は正しかった」
ノワルミアが言う。
「現に定着した」
「三割は拒絶反応で壊死した」
博士が訂正する。
「神経接続は予定の半分。術後の生存率も、計画時点では二割を下回っていた。正しかったというより、運が良かった」
「生き残れば同じことじゃ」
「経営者は結果だけを見られて便利だね」
二人の会話を聞きながら、映像から目を離せなかった。
機械の腕が腹部へ降りていく。
画面は術野を映さない。
代わりに数値が並ぶ。
心拍。
血圧。
生体マナの流出。
灰色だったマナ場へ、赤紫の線が触れた。
数値が跳ね上がる。
手術台の私が背中を反らした。
拘束具が鳴る。
その音だけで、大鎌を支える手首まで冷たくなった。
右手を握る。
動く。
今は動く。
「接続直後、二つのマナ場は互いを異物と判定した」
博士が淡々と続ける。
「君の『死』は移植器官を殺そうとした。淫魔器官は自分を維持するため、周囲の細胞を過剰に活性化した。死と生が、君の腹部で相手を食い合った」
映像の数値が警告色へ変わる。
血圧低下。
組織増殖。
マナ経路崩壊。
研究員たちの声が重なった。
『拒絶率、許容値を超過』
『死のマナ場の遮断を』
『遮断すれば被験体の循環が停止します』
その中で、博士の声だけが落ち着いていた。
『両方を止めるな。境界を固定しろ』
「あなたがいた」
映像を見たまま言う。
「もちろん」
「声をかけただけじゃない」
「私の理論だ。初回接続くらいは立ち会う」
画面の中で、灰色と赤紫の間へ細い白線が引かれる。
神経保護術式。
二つのマナ場を統合せず、接触だけを制限する境界。
警告は減った。
私の身体から力が抜ける。
助かったようには見えなかった。
壊れ切るのを先送りにしただけだった。
◆
映像が術後七日目へ進む。
透明な槽の中で、私は丸くなっていた。
髪は短い。
皮膚には計測線が貼られ、腹部を中心に赤紫の光が脈打っている。
目は開いていた。
何も見ていない。
「覚えてるかな?」
博士に聞かれる。
「寒かった」
それだけは覚えている。
液体は体温と同じはずなのに、身体の内側だけが冷たかった。
「食べても、味がしなかった。眠ると手術台へ戻った。起きても、身体が自分のものじゃなかった」
「正しい認識だ。あの時点では、半分ほど異物だった」
図が更新される。
移植器官から伸びた根は、神経と血管を掴んでいる。しかし灰色と赤紫の境界ははっきり分かれ、接触するたび白い保護術式が発光していた。
「この状態を、ノワルミア君は完成と呼んだ」
「妾の兵としては十分であった」
玉座から返事が来る。
「命令に従わせ、定期的に部品を交換すればよい。不安定であろうと、働く間は成果じゃ」
「私は壊れる予定だったんでしょう」
「壊れる前に成果を回収する。工業とはそういうものじゃ」
「……」
「いつまで昔の不良品を眺めるつもりじゃ、博士。現在の性能だけ示せばよかろう」
「過程を省くと、君が手柄を独占するからね」
ノワルミアには、悪意がない。
壊れた道具を捨てることへ、罪悪感を持たないだけだ。
博士は図を次へ送った。
術後三か月。
私は幻想公司の医療室にいる。
オブリビオンから奪還されたあとだ。
ベッドへ座り、薬の説明を聞いている。顔色は悪く、長い髪もまだ肩へ届いていない。
生体図では、赤紫の器官が少し小さくなっていた。
「弱ったの?」
「逆だ。溶け始めた」
博士が図へ触れる。
器官の輪郭が薄くなり、周囲の組織へ赤紫の点が散っている。
「当初、我々は拒絶による崩壊と判断した。移植器官の細胞が死に、機能を失っているように見えた」
「違った」
「君が取り込んでいた」
胃の奥が重くなる。
「子宮へ接続した器官は、周囲へ根を張った。だが、三か月を過ぎた頃から、根と本体の区別が消え始めた。器官の細胞は君の組織へ置き換わり、神経も血管も、君自身のものとして再編成された」
映像が半年後へ進む。
赤紫の塊は、もうない。
代わりに腹部全体へ細かな光が広がっている。
一年後。
色の境界がさらに薄くなる。
二年後。
『死』の灰色と、生を促す赤紫が、斑に絡み合っていた。
「随分と地味な記録じゃのう」
玉座から退屈そうな声が飛ぶ。爪先が一度、段を叩いた。その音で、白い医療室へ沈みかけた意識が謁見室へ戻った。
現在。
どこからが元の私で、どこまでが移植された器官なのか。
図からは判別できない。
「摘出できる?」
聞く必要はなかった。
それでも聞いた。
「できない」
博士が答える。
「少なくとも、君を君のまま残しては」
腹部へ手を当てる。
変身衣装越しに、体温がある。
三年間。
気持ち悪いと思ってきた。
誰かに入れられたものが、身体の中にいると思ってきた。
いつか取り除ければ。
元へ戻れれば。
そう考えたこともある。
もう、取り除くものは残っていない。
「だから妾のものじゃ」
ノワルミアが立ち上がる。
「器官が溶けたところで、その起源は変わらぬ。妾の設備で作られ、妾の資本で埋め込まれた。貴様の身体へ混ざろうと、所有権まで失われはせぬ」
「違うよ」
博士が言った。
ノワルミアの眉が動く。
「何?」
「移植器官は消えた。現在あるのは、カワイイスパイス君自身が再編成した組織だ。製造物として同一性を証明するのは難しい」
「詭弁を弄するな、出資者」
「科学的な区別だとも」
二人が私を挟んで議論する。
資産か。
成果か。
私は腹部へ当てていた手を下ろした。
「どっちでもない」
声は震えなかった。
ノワルミアと博士が、同時にこちらを見る。
「器官を作ったのは、あなたたちかもしれない」
手術台の映像。
動けない私。
腹部へ入れられた、赤紫の異物。
「でも、そのあと三年生きたのは私」
薬を飲んだ。
記録をつけた。
暴走した夜にはピュリファイアが傍にいた。
朝になれば、いおどの食事を作った。
自分の身体を嫌いながら、それでも毎日使った。
「溶かしたのも、繋ぎ直したのも、これで誰かを助ける力へ変えたのも私よ」
薄桃色の霧が、足元へ流れる。
死を司る灰色も。
生を促す赤紫も。
今は同じ桃色をしている。
「これは私の身体」
ノワルミアの顔から笑みが消えた。
博士は黙っている。
「私の力。私の人生。あなたたちの資産でも、実験の続きでもない」
◆
博士が手を叩いた。
一度だけ。
「それだ」
嬉しそうな声。
「何が」
「成功の定義だよ」
映像へ新しい図が現れる。
死の魔法。
淫魔の生体機能。
二つの円が重なるのではなく、細かな断片となって互いの隙間を埋めている。
モザイク。
「我々は二つを接続し、壊れる時期を遅らせただけだ。君は三年かけて境界そのものを作り替え、互いの暴走を互いに止めた」
外郭で使った瘴気を思い出す。
心臓を避け。
肺を避け。
命令器官だけを殺した。
殺す場所を選ぶため、生きている場所を読んだ。
「【星を保つ死の瘴気】は、手術台ではなく、君が自分を生かし続けた時間の成果だ」
欲しかった言葉だった。
私の力は、あの手術台から始まった。
でも、手術台だけで生まれたものではない。
私が生きた時間にも意味があった。
それを認めたのが、私を手術台へ載せた本人だということが、どうしようもなく腹立たしい。
「それを言うために、記録を見せたの?」
「半分は」
「残りは?」
「君を怒らせるため」
博士が首を傾ける。
「良い成果は、極限条件でも再現性を確認したい」
最初から。
私が怒ることも。
ノワルミアへ攻撃することも。
観測するつもりだった。
「最低」
「知っている」
ノワルミアが玉座の段を降りる。
「茶番は終いじゃ」
赤紫のマナが、彼女の背後へ集まる。
親衛個体六体が一斉に構えた。
「成果が誰の手で育ったかなど、どうでもよい。ここで回収すれば、全て妾のものじゃ」
「君は本当に話を聞かないね」
博士が肩をすくめる。
「貴様は黙れ」
ノワルミアが手を上げる。
親衛個体の装甲が開き、武器が現れた。
大斧。
杭。
マナ砲。
三年前と同じ。
私のマナが尽きるのを待ち、床へ押さえつけた兵器。
身体の奥で、恐怖が目を覚ます。
手首が冷たい。
腹部へ、存在しない異物の痛みが戻る。
それでも。
あれはもう、異物ではない。
怖がっている身体も。
震える右手も。
全部、私のものだ。
「最後に確認させて」
大鎌を形成する。
薄桃色の刃が、謁見室の光を裂いた。
ノワルミアが顎を上げる。
「何じゃ」
「私を作ったと思ってる?」
「妾の星が、妾の技術が、貴様を今の姿へ変えた」
「博士は?」
ペストマスクがこちらを向く。
「私は切っ掛けを作った。結果を作ったのは君だ」
違いは理解した。
ノワルミアは私を物として所有する。
博士は私を人として観察する。
だからといって。
どちらかを許す理由にはならない。
「分かった」
大鎌を両手で握る。
博士が一歩、横へ退いた。
舞台を空けるように。
「二人とも、ここで殺す」
床を蹴る。
親衛個体が動くより先に、薄桃色の翼を開いた。
一直線にノワルミアへ。
大斧が横から迫る。
身を沈めて潜り、柄へ手を添える。慣性を下へずらし、刃を床へ落とす。
正面から杭。
大鎌の柄で軌道を外へ滑らせる。
右側のマナ砲が光る。
撃たれる前に、親衛個体の肩を蹴った。
その巨体を盾にして射線を遮る。
距離が縮まる。
ノワルミアが目を見開いた。
玉座まで三歩。
二歩。
一歩。
大鎌を返す。
薄桃色の刃が、ノワルミアの白い喉へ――!