15 出資者
第十五話 出資者
「久しぶりだね、カワイイスパイス君」
ペストマスク。
黒い衣服には、身体を縛るように何本ものベルトが巻かれている。三年前と同じ姿。声も、あの日のままだった。
手術台へ降りてきた機械の腕。
“少しばかり、続きを書き換えるだけだ”
右手が勝手に震えた。
傷のせいではない。
「あなた」
「うん?」
「誰」
知っている。
論文で名前を見たことがある。
生体マナ場の自己再編成。異能器官の後天的接続。倫理審査を通るはずのない実験を、理論だけで成立させた研究者。
スキップ・センサード博士。
私が、研究者としては尊敬していた人。
魔法少女を引退してから、身体の中で何が起きているのか知りたくて、医学とマナ工学の論文を読み漁った。
難しい言葉ばかりで、最初は一頁に一晩かかった。
その中で、博士の論文だけは妙に読みやすかった。
仮説は大胆で、証明は冷静。世界を知らないことを恥じず、知らないから調べるのだと書いていた。
何度も救われた。
この身体にも、理解できる仕組みがあると思えたから。
その論文を書いた手が、私の身体を書き換えていた。
「紹介しよう」
ノワルミアが愉快そうに手を広げる。
「妾の出資者にして、技術顧問。貴様の改造計画を設計した者じゃ」
「一部訂正を」
博士が指を立てる。
「私は出資者で、接続理論を渡し、最初の実験へ立ち会った。毎日の培養管理までしたわけではない」
「どこまで、あなたの仕事なの」
「淫魔器官を君の『死』へ接続し、術後すぐ壊れないよう境界を置くところまでだ」
まるで論文の担当箇所を説明している。
「私を助けたつもり?」
「いいや」
博士はあっさり否定した。
「生存させた。助けたとは言わない。言葉は正確に使おう」
悪びれない。
言い訳もしない。
その態度が、ノワルミアの所有宣言より腹立たしかった。
「どうして」
「知りたかったから」
「何を?」
「死を司る魔法使いへ、生を強制する器官を接続したら何が起きるか」
博士は両腕を広げた。
舞台の中央へ立つ役者のように。
「答えは君だ」
「それだけで、オブリビオンへお金を出したの?」
「それだけ、とは心外だな」
博士は人差し指で宙へ円を描く。
星図と、いくつもの研究計画が浮かんだ。
生体兵器。
異能器官。
マナ障壁と通常物質の接続。
どれもオブリビオンの紋章と、博士の署名を並べている。
「彼らは倫理を欠いていたが、設備と生産力があった。私は理論と資金を持っていた。互いに不足を埋めただけだよ」
「実験体にされた人間は、不足を埋める材料?」
「そう扱った」
博士の声から、楽しげな調子が一瞬だけ消えた。
「正しかったとは言わない。必要だと判断し、実行した。君がどう評価するかは君の領分だ」
「妾の成果じゃ」
ノワルミアが声を挟む。
博士はマスクを彼女へ向けた。
「オブリビオンは場所と実験体を用意し、私は接続の切っ掛けを作った。だが、術後三年間に起きたことは彼女自身の仕事だ」
「貴様も妾の星へ投資した側であろう」
「投資先の経営判断へ、常に賛成する出資者はいないとも」
二人の間に、わずかな沈黙が落ちる。
同じ側ではある。
同じものを見てはいない。
ノワルミアは私を所有したい。
博士は観察したい。
どちらも、私の意思を数えていない点では同じだった。
「成功作って、私のこと?」
博士のマスクが戻る。
「そうだ」
「妾が三年前から、そう申しておろう」
「いや、君の評価とは少し違う」
博士は玉座の横を歩き、私との距離を縮めた。
親衛個体が止めない。
「オブリビオンが手術台から降ろした時点の君は、成功作ではない。不完全な半淫魔。二つの生体マナ場が互いを食い合い、放置すれば数年で崩壊する可能性が高かった」
「予定?」
「予測だよ。さすがに壊れる日付までは予約していない」
軽い声。
右手の震えが強くなる。
博士はそれも見ている。
視線の代わりに、黒いレンズが私の呼吸も、心拍も、怒りも記録している。
「ところが君は生きた」
一歩。
「身体を調べ、薬を調整し、淫魔器官の出力を自分で管理した」
もう一歩。
「死と生を、互いに潰し合わせなかった。境界を残したまま組み合わせ、ついには【特異】へ至った」
手を伸ばせば、マスクへ届く距離。
私は動かない。
「素晴らしい」
博士が囁く。
「予測を超えた成功作だ」
胃の奥がひっくり返りそうになった。
褒められた。
論文を読んで、いつか話を聞きたいと思った研究者に。
私の人生を壊した本人から。
「私が苦しんだことも、成果?」
「観測値ではある」
「いおどをさらったことも?」
「それはノワルミア君の経営判断だ。私は反対しなかったがね」
「有効であった」
ノワルミアは玉座へ腰を下ろす。
「現に、魔女は妾の前へ戻った」
監視映像では、偽物のいおどが眠っている。
まだ、大丈夫。
私は博士だけを見る。
「私があなたを恨んでるって、分かってる?」
「もちろん」
声が弾んだ。
嬉しそうだった。
「君には私を恨む権利がある」
「許してほしいとは?」
「思わない。謝罪で観測済みの苦痛が消えるなら、研究費の大半を菓子折りへ回している」
「後悔も?」
「後悔は結果を検証するためにある。私は同じ条件なら、また同じ研究へ出資するだろう」
「殺されても?」
「恨みの表現方法としては、古典的だが分かりやすい」
博士が喉元を指で叩く。
「ただし、私は死なない。痛いものは痛いので、できれば手早く頼むよ」
冗談ではない。
この人は、本当に殺されることまで受け入れている。
罪を悔いているからではない。
結果に含めているだけだ。
怒りをぶつけても、博士の中では次の記録になる。
それが分かって、余計に許せなくなった。
「良い眼だ」
博士が笑う。
マスクで口元は見えない。
それでも分かる。
「三年前より、ずっと良い」
謁見室の照明が落ちた。
玉座の背後へ、白い長方形が浮かび上がる。
映像。
中央に手術台。
手足を固定され、口へ器具を噛まされた、十六歳の私。
画面の隅に実験番号と、術式の進行記録が並んでいる。
「では、答え合わせをしよう」
博士が映像へ手を向けた。
「三年前、君の身体へ何をしたのか。どこまでが我々の仕事で、どこからが君自身の成果なのか」
記録映像の中で、機械の腕が降り始めた。