13 ここからは私の戦い
第十三話 ここからは私の戦い
「外へ出るには、あれを潰さないと駄目みたい」
ルノフェットが腰の後ろへ手を回し、残された二発の包絡弾を指で確かめる。
隠し搬送路の隔壁が、一枚ずつ閉じていた。
遠いものから順番に。
獲物を逃がさないよう、袋の口を絞る動きだった。
「指揮生体核はどこ?」
「中央搬送路の下。ここから二百メートルくらい。ただし、正面の通路はもう閉じてる」
「別の道は?」
「壁の中」
ルノフェットが天井を指す。
生体管と神経束の隙間に、人一人が通れるかどうかの保守路が見えた。
私なら通れる。
ルノフェットも。
子供たちを運ぶには狭い。
いおどが、壁際で眠る幼体二人を見る。
「この子たちも、一緒に行ける?」
「連れていくよ」
答えると、ルノフェットが頷いた。
「西第七培養区の子も回収する。運搬用の保守繭が近くに四つあるんだ。元は培養槽を運ぶ装備だけど、生命維持はできる」
「いおども、それに?」
「うん。外から生体反応を隠せる。少し狭いけど」
「わたし、平気」
いおどはすぐに答えた。
私の袖を掴んだまま。
平気ではない。
狭い場所へ入れられ、また私と離れる。怖くないはずがない。
それでも、この子は行くと言っている。
「先に指揮核を止める」
私は閉じていく隔壁を見る。
「道が開いたら、子供たちをお願い」
「キミは?」
ルノフェットの問いに、いおどの指へ力が入った。
答えは決まっている。
まだ言えなかった。
「核を見てから考える」
ルノフェットは私の顔を見た。
嘘だと分かったらしい。
追及はしなかった。
「じゃあ、まず開けよう」
◆
指揮生体核へ続く正規通路は、三枚の隔壁で塞がれていた。
一枚目は物理装甲。
二枚目はマナ遮蔽。
三枚目は生体組織で、侵入者を検知すると内部の通路ごと収縮する。
私とルノフェットだけなら、壁を壊して進める。
後ろには、いおどと幼体二人。
帰り道として使うなら、隔壁を開いた状態で維持しなければならない。
「核を潰せば、全部止まる?」
「少なくとも、この区画の扉と監視網は。問題は、あれ自体が装甲の中にいること」
ルノフェットが壁へ薄い端末を押しつける。
青白い線で、床下の構造が表示された。
中央に大きな球体。
その周囲を何層もの装甲とマナ障壁が包み、放射状に神経が伸びている。
心臓というより、根を張った種に見えた。
「貫通包絡弾を使えば、外殻と障壁は抜ける。でも、核までの直線が取れない」
端末上の経路は、途中で曲がっている。
「弾は曲がらない?」
「少しは補正できるけど、これだけ厚いと無理。入口から撃ったら、二層目の装甲で復相する」
「じゃあ、直線を作ればいい」
床へ手を当てる。
指揮生体核から伸びる神経が見えた。
隔壁。
監視端末。
処分装置。
管理個体。
この区画の全てへ命令を送り続けている。
同時に、周囲の装甲を生かしている。
傷つけば補修細胞を増殖させ、障壁が薄くなれば別区画からマナを引き込む。守っているものが生きているから、指揮核も守られる。
「私が装甲を開く」
「どこまで?」
「核が見えるところまで」
ルノフェットが端末から顔を上げる。
「できる?」
「死なせる場所が分かれば」
私の瘴気は、金属を直接腐らせる力ではない。
けれど、この星の金属は単独で存在していない。生体組織が装甲を支え、細胞が隙間を埋め、マナ障壁が両者を一つの構造として繋いでいる。
生きている部分を正しく止めれば、金属はただの重い板へ戻る。
「撃つ合図は?」
「道が見えたら」
「曖昧だね」
「密偵なら察して」
「乱暴だなあ」
ルノフェットが笑う。
少しだけ。
その軽さに助けられた。
背後で、いおどが座り込んでいる。
幼体二人へ保温膜をかけ直し、自分の膝へ一人の頭を乗せていた。
「いおど」
「はい」
「障壁を張るから、そこから動かないで」
「お師匠様は?」
「すぐ戻る」
今度は、できるだけ本当のことを言った。
指揮核を壊すまでは戻る。
そのあとのことは、まだ。
いおどたちの周囲へ半球状の障壁を置く。
薄い。
長時間は保たないが、飛び散る破片と一度の衝撃くらいなら防げる。
ルノフェットが右腕の装甲を開いた。
赤い緩衝材から、二発目の包絡弾を抜く。
弾底に刻まれた文字は、貫通。
アームブレード基部の射出室へ押し込み、装甲を閉じた。
「残り一発」
確認する声が、少し低い。
この弾を使えば、帰還命令まであと一発になる。
「外したら?」
「みんなで別の道を考えよう」
「当てて」
「善処します」
どこかで聞いた返事だった。
私は床へ両手をつく。
瘴気を流した。
◆
指揮生体核が、こちらを見た。
目があるわけではない。
それでも、神経へ触れた瞬間、巨大な意識が反対側から押し返してきた。
敵、侵入、処分。
単純な命令が、何千本もの神経を通って区画全体へ走る。
閉じかけていた隔壁が速度を上げた。
天井から処分液が噴き出し、床の孵化槽が開く。
中にいたのは、未完成の生体兵器だった。
皮膚のない四肢。
閉じたままの眼。
武器へ変わりかけた腕。
まだ立てない。
それでも命令を受け、槽から這い出そうとしている。
「そっちは任せて!」
ルノフェットが短く叫ぶ。
銃は失っている。
両腕のアームブレードを展開し、孵化槽と床を繋ぐ管だけを切った。
未完成体の身体には触れない。
栄養管を断たれた槽が非常保護へ切り替わり、蓋を閉じる。
私も指揮核へ集中する。
神経の根元を辿る。
外側の装甲を維持する補修細胞。
見つけた。
止める。
床下で、何かが軋んだ。
端末の表示を見る。
一層目の装甲を支えていた生体接着が死に、金属板が自重で沈んでいる。
まだ足りない。
二層目。
マナ障壁へ出力を送る器官を探す。
指揮核が抵抗する。
私の瘴気へ、逆向きに命令信号を流してきた。
“停止”
“服従”
“帰還”
背骨が熱くなる。
サキュバスの歌とは違う。
もっと粗い。
それでも、身体へ残された命令経路が反応した。
両腕から力が抜ける。
「スパイス!」
ルノフェットの声。
床へついた手が離れそうになる。
“帰還”
どこへ。
“所有者のもとへ”
中央塔。
ノワルミアのいる場所。
身体がそちらへ向こうとする。
私は左手で右手の指を掴んだ。
床へ押しつける。
「あとで行く」
命令へ答える。
「私の足で」
瘴気を深く入れた。
二層目の出力器官が死ぬ。
端末上の障壁が一枚、消えた。
指揮核が警報を上げる。
床が持ち上がった。
金属板の隙間から、太い触手が何本も飛び出す。
ルノフェットが前へ出た。
右刃で一本。
左刃でもう一本。
切断面から新しい肉が増殖し、刃へ絡みつく。
脚部ジェット。
短い噴射で身体を回し、絡んだ肉を刃から振り払う。
右踵の出力が落ちているせいで、回転が途中で歪んだ。
触手が脇腹へ当たる。
ルノフェットの身体が壁へ飛んだ。
「ルノフェット!」
「続けて!」
床へ落ちながら叫ぶ。
立ち上がる。
無事ではない。
それでも、こちらを止めるなと言っている。
三層目。
核を包む生体装甲。
その中には、核以外の心拍があった。
一つではない。
小さな心臓が十以上。
補助動力として埋め込まれている。
全部を殺せば、装甲は開く。
簡単か?
いや、できない。
心臓を避け、そこから伸びる血管だけを見る。
核へ栄養を運ぶ太い管。
補助心臓そのものを生かす細い管。
前者だけを止める。
精度が足りない。
頭の奥が痛む。
瘴気を広げすぎた。
戦いすぎた。
右手も、腹も、背中も痛い。
でも。
ここで雑に殺したら、何のためにいおどを助けたのか分からない。
「死なせない」
瘴気をさらに細くする。
一本。
外す。
二本目。
補助心臓の脈が乱れた。
止める。
瘴気を戻し、別の接続へ入れる。
三本目。
見つけた。
核へ流れる栄養だけが途絶える。
生体装甲が萎み始めた。
金属の外殻との間に、細い空間ができる。
端末上で、中心まで一本の線が通った。
「ルノフェット!」
彼はもう右腕を上げていた。
察していた。
射出室が開く。
狙いは、床下。
装甲の隙間。
その先の指揮生体核。
「伏せて!」
私はいおどたちの障壁を厚くする。
ルノフェットが撃った。
黒い弾体が床へ入る。
表面の金属へ衝突する直前、針のように細いマナ包絡を形成した。
金属板を抜ける。
その下の生体装甲へ触れても止まらない。
弾体と世界の接触面が、前方の一点へ絞られている。装甲は弾を受け止めるより早く、接触する場所を内側へ譲り続けた。
一層。
二層。
私が開いた直線を通る。
指揮生体核へ命中。
一瞬、何も起きなかった。
弾体が核の内側へ入りきってから、包絡が崩れる。
復相衝撃で、床が跳ねた。
金属板の隙間から赤い光が噴き上がり、区画全体を走っていた命令信号が一斉に途絶える。
閉じかけていた隔壁が止まった。
少し遅れて、全て開き始める。
処分液の噴射も止まり、孵化槽の警報が保護表示へ変わった。
端末中央の球体が暗くなる。
周囲に埋め込まれた補助心臓は、まだ動いていた。
「当たった」
私が言う。
ルノフェットは右腕を下ろし、射出室を確認した。
「善処したからね」
腰の後ろへ手を回す。
包絡弾は、あと一発。
開いた隔壁の向こうから、止まっていた空気が流れ込んだ。
いおどたちを覆う障壁は残っている。三つの小さな呼吸も聞こえる。私はその場で一度だけ深く息を吸い、指揮核ではなく、助けた子供たちのほうを見た。
◆
ルノフェットは保守繭を四つ運んできた。
乳白色の楕円形で、蓋を開くと内側に柔らかな固定膜が張られている。
幼体二人を一人ずつ寝かせる。
首輪へ触れないよう固定位置を調整し、生命維持を起動する。膜が身体へ沿い、呼吸と体温の表示が蓋の表面へ浮かんだ。
いおどは三つ目へ自分から入った。残る一つは、西第七培養区の実験体を回収するためのものだ。
「狭くない?」
「押し入れより広い」
「押し入れに入ったことあるの?」
目が泳ぐ。
帰ったら詳しく聞こう。
いおどは繭の中から私へ手を伸ばした。
握る。
「お師匠様も来る?」
今度こそ、答えなければならない。
「途中まで」
嘘は言わない。
「この繭を脱出路へ出したら、私は中央塔へ行く」
いおどの顔が強張る。
「どうして」
「敵の親玉は、私がここへ来た理由を知ってる。いおどを助けたって分かったら、追手を全部こっちへ向ける」
「一緒に逃げたら」
「逃げられるかもしれない」
ルノフェットがこちらを見る。
否定はしない。
指揮核を止め、外郭防衛も乱れている。
今なら全員で城門まで走る道もある。
ただし、ノワルミアは生きている。
この船、エグジラも。
「まー、当の魔女に逃げる気がなさそうだよね」
逃げ切れなければ、また同じことが起きる。
いおどでなくてもいい。
ピュリファイアでも、施設の子供でも、私が助けようとする誰かを使えばいい。
そして。
それだけではなかった。
私は三年前から、何度かここへ戻ってきていた。
夢の中で。
鏡の前で。
金属音を聞くたびに。
星を離れても、手術台だけは私の中に残った。
「お師匠様」
「あなたを助けに来たのは、ここまで」
いおどの手を両手で包む。
「ここから先は、私が私を助けに行く」
いおどは何も言わなかった。
泣きそうな顔で、私を見ている。
六歳の子へ、理解してもらう言葉ではない。
それでも、誤魔化したくなかった。
繭の中に、視線を落とす。
私を満たす悲壮な決意が、いおどにも分かってしまう。
「また、戻ってくる?」
「戻る」
「ほんとに?」
「パンケーキ四枚、まだ作ってない」
いおどの口元が少しだけ動く。
死地に行く私を止められないのなら、せめて日常に戻って来てよと。
「五枚」
「増やさないで」
「帰ってくるぶん」
困った。
「分かった。五枚」
「約束」
「約束」
小指を出す。
いおども、小さな指を絡めた。
繭の外で約束を結ぶ。
「ルノフェット」
「うん」
「この子たちをお願い」
「引き受けた」
軽口ではない声だった。
「西第七培養区の一人も回収する。そこから外郭の保守港へ抜ける」
「ほかに、置いてきた人は?」
「一人いるね」
「仲間?」
「どうだろ。まだ、名前を思い出してない人」
妙な答えだった。
でも、顔を見れば分かる。
置いてきた誰かがいる。
「連れていけるなら、その人も」
「努力する」
ルノフェットが保守繭の蓋を閉じる。
いおどの姿が乳白色の膜越しにぼやけた。
外からは生体反応が消える。
追跡されにくくなる代わりに、私も心拍を感じ取れなくなった。
胸が騒ぐ。
繭の表示は正常。
ルノフェットもいる。
ここは、任せよう。
『助けを求めることを、恥じない』だ。
ピュリファイアとの約束を思い出す。
左腕の変身バングルへ触れた。
白い火が、小さく灯る。
「いおどを確保した」
声に出す。
返事はない。
エグジラの遮蔽が通信を阻んでいる。
それでも、追跡術式の奥へ信号を押し込む。
一度。
二度。
三度目で、白い火が私の指へ絡んだ。
遠くから握り返されたような熱。
うん、届いた。
ピュリファイアが待つ必要は、もうない。
幻想公司が動く。
コーポ・アレスも、自分たちの時計で動いている。
星ひとつを相手に始めた単騎戦は、もうすぐ終わる。
次に始まるのは、戦争だ。
◆
保守港へ続く分岐で、ルノフェットと別れた。
彼は四つの繭を低い運搬台へ固定し、片方のジェットだけで押していく。
最後に一度、いおどの繭へ触れる。
中から、小さな手の影が重なった。
「行ってくる」
影が頷いたように動く。
私は背を向けた。
中央塔へ向かう。
壁に、赤紫の矢印が戻ってきた。
“謁見経路”
今度は従う。
歩きながら、薄桃色の瘴気を身体へ戻す。
外へ広げていた感覚を閉じ、いおどの痕跡を隠す。切断した監視網の一部を生かし、培養区画の処分装置へ偽の反応を流した。
小さな心拍。
一定の呼吸。
拘束具に繋がれたままの生体マナ。
偽物のいおどを作った仕組みは、もう分かっている。精密な再現ではない。短時間、監視記録を騙すだけの借り物だ。
ノワルミアが監視する記録の上では、いおどはまだ収容室にいる。
私も、救出に失敗したまま中央塔へ向かっている。
歩廊の先で、警備兵が道を開けた。
命令端末は動いている。
けれど、攻撃してこない。
中央から指示されている。
通せ、と。
私が罠へ入るまで待て、と命じられている。
ちょうどいい。
右手の傷へ薄い瘴気をまとわせ、血だけを止める。変身衣装の焼けた裾も、乱れた髪も、そのままにした。
勝ったようには見せない。
疲れて。
傷ついて。
人質を救えず。
それでも所有者の前まで来た実験体。
ノワルミアが見たいものを見せる。
中央塔の扉が開いた。
広い謁見室。
赤紫の光。
最奥に、黒い玉座がある。
そこへ座っていた少女が、ゆっくりと立ち上がった。
若く、幼く見える。
それでも、涜船エグジラ全体が彼女の動きへ呼吸を合わせた。
ノワルミア・オブリヴィオン。
彼女は両腕を広げる。
『ようやく妾のもとへ帰ったか』