11 偽物の心拍
第十一話 偽物の心拍
四人のいおどが、同時に目を覚ました。
東西南北。
城塞の奥で、小さな心臓が同じ速さで鳴っている。
呼吸の間隔も、体温も、生体マナの揺らぎまで同じだった。
そんなはずはない。
いおどは一人だ。
分裂する能力なんて持っていないし、昨日の夕食を四人分食べたわけでもない。あの子なら、パンケーキが増えると聞けば少し考えるかもしれないけれど。
冗談を考えても、笑えなかった。
薄桃色の瘴気を外郭から引き剥がし、身体の周囲へ戻す。広げすぎたせいで、頭の奥が鈍く痛む。全身の傷も熱を持ち始めていた。
それでも、四つの反応から意識を離さない。
一つでも本物なら。
どれか一つを選ばなければならない。
エグジラの外郭では、命令を失った生体兵器が戦場から離れていく。空を覆っていた翼の群れは薄くなり、砲台も沈黙していた。
今なら中へ入れる。
大鎌を握り直し、開いた城門へ向かう。
その直前。
東側の心拍が止まった。
呼吸も、体温も、生体マナの揺らぎも、同じ瞬間に消える。
「いおど?」
返事はない。
瘴気を東へ伸ばす。
反応があった場所まで届くには遠すぎる。途中の監視神経や命令器官なら触れられても、部屋の内部までは読めなかった。
心拍は戻らない。
胸の奥が縮む。
死んだ。
その言葉が浮かび、すぐに引っかかった。
あまりにも、きれいに止まりすぎている。
生き物は、こんなふうには死なない。
心臓が止まっても、身体の全部が同時には終わらない。
肺に残った空気、神経を走る最後の信号、冷えていく血液。死は一瞬に見えて、その内側ではいくつもの機能が順番にほどけていく。
東の反応には、それがなかった。
明かりを消したように、全部が同時に途絶えた。
「機械」
完全な機械ではない。
心臓は本物だった。肺も、血も、生体マナも使っている。
ただし、それらが一つの命として繋がっていない。外から与えられた時刻に動き、いおどの反応を演じていた。
残る三つの心拍が鳴り続ける。
どれも東と同じ。
同じだからこそ、一つだけ違うものがあるはずだ。
私は城門へ降りた。
◆
涜船エグジラの内側は、外よりも暑かった。
城門を抜けた先には、都市へ続く広い搬送路がある。床の中央を貨物用の軌道が走り、左右には兵士や研究員が通る歩廊。天井では太い管が何本も脈打っていた。
警報は鳴っている。
けれど、迎撃部隊は来ない。
通路の壁際で、ワイバーンが一体うずくまっていた。片方の翼が装甲扉へ挟まり、抜けなくなっている。
私を見る。
喉の奥へ赤紫の光が集まった。
反射的に大鎌を構える。
ワイバーンは撃たなかった。
光が消える。
命令端末の沈黙した額を床へ伏せ、私が通り過ぎるのを待った。
「そのままね」
翼の根元へ触れる。
薄桃色の霧を装甲扉の筋肉へ流し、収縮している部分だけを壊死させる。扉が少し緩んだ。
ワイバーンが翼を引く。
膜は裂けていたが、骨まで折れてはいない。
手当てをしている時間はなかった。
「外へ行って。ここにいたら、また繋がれる」
通じたかは分からない。
ワイバーンは立ち上がり、城門へ向かった。すれ違うとき、頭部がわずかに下がる。
見送らず、奥へ進む。
搬送路の壁に、赤紫の矢印が灯った。
“死と瘴気の魔女へ”
“謁見経路”
中央塔を指している。
ノワルミアが用意した道だ。
私は矢印と反対へ曲がった。
「まだ行かない」
いおどを見つけるまでは、あなたの予定に付き合う気はない。
背後で隔壁が閉じ始める。
大鎌を横へ寝かせ、隙間へ差し込んだ。固体化マナの柄へ両手で力をかけ、閉じる扉を押し返す。
重い。
障壁なら位相を裂けるが、これは何十トンもある実体だ。マナの刃に質量はなくても、押している私の身体には限界がある。
扉の筋肉へ瘴気を入れる。
また全部を殺さないよう、閉鎖命令を受け取る神経だけを探す。
見つけた。
神経束が途切れ、隔壁が止まる。
身体を横にして隙間を抜けた直後、大鎌を消す。支えを失った扉が背後で閉じた。
正規経路から外れた。
残る反応は、西、南、北。
最も近いのは南だった。
◆
南部医療庫へ近づくほど、消毒薬の匂いが濃くなる。
白い壁。
白い床。
天井に並ぶ照明。
三年前の手術室とは造りが違う。分かっているのに、靴音が一つ響くたび、手首へ金属の冷たさが戻ってきた。
立ち止まらない。
ここは手術台ではない。
私は拘束されていない。
それに、いおどがいるかもしれない。
南の心拍は近い。
隔壁の向こうで、一定の速さを保っている。緊張も、眠りも、痛みもない。六歳の子供が敵の星へさらわれたというのに、拍動の間隔が一度も乱れなかった。
おかしい。
いおどは怖がりではない。
でも、平気なふりが上手いわけでもない。採血の前には腕を出しながら目を閉じるし、雷が鳴ると何か理由をつけて私の部屋へ来る。
あの子の勇気は、怖さを忘れることではない。
怖くても、私の服を掴んで前を見ることだ。
扉へ手を当てる。
向こうの反応には、恐怖がない。
ならば、いおどではない。
瘴気を髪の毛ほど細くする。
扉の隙間から内部へ流し、心拍を作っているものへ触れた。
柔らかい肉。
小さな心臓。
空気を送られて膨らむ肺。
東と同じだ。
その周囲へ、いおどの生体マナを模した薄い膜が被せられている。膜は一定の周期で揺らぎ、外から観測すれば、子供が眠っているように見えた。
心臓は生きている。
殺す必要はない。
私は膜と心肺を繋ぐ接点だけを死なせた。
南のいおどが消える。
扉の向こうでは、心臓がまだ鳴っていた。
誰の身体にもならず、反応を作るためだけに培養された臓器。
助けたとは言えない。
それでも、止めることもできなかった。
「ごめん」
謝る相手がいるのかも分からない。
今は先へ行く。
◆
残り二つ。
西第七培養区。
北部廃棄層。
どちらも遠い。
南のように一つずつ扉を開けていたら、間に合わない。
私は搬送路へ戻らず、壁の中を走る生体神経へ瘴気を繋いだ。広く展開すれば位置を知られる。だから、自分の周囲だけを薄く覆い、触れた接続から次の接続へ渡していく。
目を閉じる。
エグジラの内側が、別の形で見えた。
熱を運ぶ血管。
命令を運ぶ神経。
監視端末へ情報を送る細い管。
培養区画へ栄養を流す太い脈。
生きた都市の中を、無数の流れが走っている。
そのうち二本が、いおどの反応へ繋がっていた。
西側。
南と同じ模倣膜がある。
ただ、心肺だけではない。
人に近い形をした何かが槽の中へ浮かび、その全身へいおどのマナ署名を貼りつけられている。
呼吸は一定。
心拍も一定。
けれど、指が動いた。
外から与えられた周期ではない。
眠っている。
いおどではないが、生きている。
模倣膜へ瘴気を触れさせると、槽の中の何かが身じろぎした。心拍が速くなる。
怖がった。
私は接続だけを切る。
西のいおどが消えた。
残された生命は、そのまま呼吸を続ける。
「あとで」
小さく言う。
いおどを見つけて。
味方が来て。
この星の制御を止められたら。
そのあとで、必ず戻る。
残る反応は、北の一つ。
けれど。
北の反応にも違和感があった。
呼吸も心拍も乱れない。それ自体は南と同じだったが、模倣膜を維持する信号だけが一本の管を通って外から入っている。
辿る。
北部廃棄層から、中央搬送路。
中央搬送路から、培養区画。
反応がある場所と、信号を作っている場所が違う。
北にあるのは、受信機。
いおどのマナ署名を作っている本体は、別の場所にある。
「見つけた」
北の反応を消さない。
模倣信号を逆に辿るため、そのまま泳がせる。
細い管は、ノワルミアの示した中央塔へ向かう経路と途中まで重なり、手前の分岐で下へ潜っていた。
案内表示には載っていない。
壁の向こう。
培養区画へ続く搬送路。
そこから、別の心拍が聞こえた。
四つの偽物へ隠されていた、小さな鼓動。
速い。
一定ではない。
何かの音へ怯え、息を止めるたび、心臓だけが先に走っている。
生体マナも揺れていた。
私を探すように外へ伸び、見つからずに縮こまる。
いおどだ。
今度は、分かる。
あの子は生きている。
怖がっている。
私を待っている。
◆
隠し搬送路の入口は、何もない壁に見えた。
表面を撫でると、皮膚の下に細い縫い目がある。認証端末も取っ手もない。内部からしか開かない構造だった。
大鎌を出す。
刃先を縫い目へ入れ、位相を裂いた。
一度では足りない。
上下へ何度も刃を走らせる。壁の向こうで警報が鳴り、切断した場所を塞ぐために補修細胞が集まってきた。
瘴気で増殖だけを止める。
大鎌を消し、両手を切れ目へ差し込んだ。
開く。
腕と背中の傷が痛む。
腹へ受けたワイバーンの突撃も、今になって呼吸を邪魔した。
それでも、壁は少しずつ裂けていく。
人一人が通れる幅になったところで、身体を滑り込ませる。
狭い搬送路だった。
天井は低く、両側の壁を半透明の管が埋めている。中を流れる液体が青白く光り、奥へ続く道を照らしていた。
正面の床に、赤紫の矢印が投影される。
“謁見経路へ復帰せよ”
無視する。
矢印とは逆へ進む。
歩くたび、いおどの心拍が近づく。
途中で北の偽反応が消えた。
泳がせていたことに気づかれたらしい。模倣信号が切断され、四つ目のいおども端末上から死亡した。
もう構わない。
本物を知っている。
突き当たりに隔壁があった。
白い金属ではない。
半透明の生体膜が何層にも重なり、向こう側を曇らせている。
手を触れる。
すぐ近くに、小さな身体。
隔壁の向こうで呼吸を止めている。
私の気配へ気づいたのかもしれない。
「いおど」
声をかける。
返事はない。
警戒している。
偽物の声を聞かされていたとしても、おかしくない。
変身衣装の袖を握る。
いつもなら、あの子の小さな手が掴む場所。
「朝ごはん、残してきちゃったね」
心拍が跳ねた。
「帰ったら作り直す。今度はパンケーキ、三枚でもいいよ」
向こう側で、何かが動く。
細い管が擦れ、金具が鳴った。
それから。
震えた声が、隔壁越しに届いた。
「……お師匠様?」