03 果たし状
第三話 果たし状
黒い翼が、空を埋めていた。
数えられない。
ハーピィだけで、百は超えている。
その奥。
四本腕のドラゴノイド。
獅子と山羊と蛇を継ぎ合わせた、キュマイラ。
どれも、三年前に見た。
「お師匠様」
腕の中。
いおどが、私の服を掴む。
「大丈夫」
嘘だ。
でも、子供の前で大人は嘘をつくものだ。
「ピュリファイア!」
通路の向こう。
銀髪が見える。
ピュリファイアは走りながら端末を操作していた。白い外套を翻し、職員へ指示を飛ばす。
「医療区画を封鎖! 動かせる患者は地下へ!」
「防衛設備は?」
「起動済みですわ!」
館内が揺れる。
上空で、赤い光。
ドラゴノイドが放ったマナ弾。
夢船の障壁へ着弾した。
正確には。
飛翔中に加速し、障壁を押し潰した。
薄桃色の光が波打つ。
一撃。
耐える。
二撃。
ひび。
「西側障壁、出力六割!」
「予備炉を接続なさい!」
「もう繋いでます!」
職員の悲鳴。
ピュリファイアが舌打ちをする。
「対応が早すぎますわね」
「こっちの設備を知ってる」
「ええ」
幻想公司の規格。
障壁の出力。
予備炉へ切り替わる時間。
全部。
「内通者?」
「それでしたら、まだ可愛げがあります」
ピュリファイアが上空を睨む。
敵の隊列。
迷いがない。
この施設を建てた者が、図面を渡したような動き。
「オブリビオン」
口に出す。
喉の奥に、甘い匂いが蘇った。
「お姉様」
ピュリファイアの声。
近い。
私の肩へ、手を置いている。
「聞こえておりますか?」
「聞こえてる」
「では、いおど様を」
腕を伸ばしてくる。
私は、一歩下がった。
考えるより先に。
渡さない。
誰にも。
「お姉様」
「私が連れていく。あなたは迎撃へ」
「っ! はい……!」
ピュリファイアが黙る。
また、船体が揺れた。
障壁が砕ける。
薄桃色の破片。
光の雨。
ハーピィの群れが、一斉に降下した。
◆
天井が裂ける。
金属と樹脂の破片が落ちてきた。
ピュリファイアが前へ出る。
腕を振るう。
白い火が迸り、自在にゆらめく。
炎は破片こそ焼かなかったが。
落下の勢いは削がれ。
破壊力を失った瓦礫が、雨のように床へ散った。
「職員は地下へ!」
ハーピィが飛び込んでくる。
赤い単眼。
金属質の翼。
腹部には、破れた歯車の紋章。
やっぱり、オブリビオンだ。
ピュリファイアが、掌を向ける。
「《ホワイトアウト》」
白炎。
通路を満たす。
先頭のハーピィが燃えた。
羽根が灰になる。
肉は焼けない。
代わりに、額の命令端末が融解した。
三体。
五体。
翼を失い、床へ落ちる。
ピュリファイアは強い。
たぶん、今の私よりも。
「見ていないで、早く!」
怒鳴られた。
走る。
いおどを抱え、地下避難区画へ。
背後で戦闘音。
白い炎。
ハーピィの悲鳴。
近い。恐れを捨てろ。
振り返れば、速度が落ちる。
「お師匠様」
「舌、噛むから喋らないで」
「戦わないの?」
足が止まりそうになる。
走る。
「戦わない」
「でも、ピュリファイアお姉ちゃんが」
「ピュリは強いから」
「お師匠様も強いよ」
どうだか。
あれから、一度も戦ってないし。
右手を開く。
刃は、作らない。
今はまだ。
いおどを逃がすほうが先だ。
「前を見て」
通路の先。
防火扉。その向こうが地下昇降機。
あと、二十メートル。
十。
防火扉が閉まり始める。
「待って!」
滑り込む。
間に合わない。
右手を伸ばす。
桃色の刃。
扉の駆動部を切断する。
重い扉が止まった。
隙間。
いおどを先に通す。
「そのまま昇降機へ!」
「お師匠様は?」
「すぐ行く!」
身を横にする。
通り抜けようとした瞬間。
床が隆起した。
「――っ!」
吹き飛ばされる。
壁へ肩を打つ。
息が詰まった。
廊下の床を突き破り、獅子の頭が現れる。
キュマイラ。
山羊の角。
蛇の尾。
背中から、拘束用の触手が伸びていた。
いおどへ向かう。
「逃げて!」
右手の刃を振るう。
触手を三本。
切断。
キュマイラが吼える。
近い。マナ弾は、相性が悪い。
だったら、物理。刃を長く。
鎌へ。柄を両手で握る。
私の身長より大きい、桃色の大鎌。
三年ぶりの相棒を、構える。
身体が、覚えていた。
踏み込んで、横薙ぎ。
獅子の前脚は、スパッと二分。
返す刃で山羊の首。
尾の蛇が噛みついてくる。
鎌を消す。
懐へ!
拳!
復相衝撃。
蛇の頭が、内側から弾けた。
キュマイラの巨体が床へ沈む。
静かになった。
私は、自分の手を見る。
震えていない。
息も、乱れていない。
三年前より、簡単だった。
なぜ?
「お師匠様、すごい!」
いおどが笑う。
嬉しそうに。
私は。
笑えなかった。
◆
地下昇降機へ入る。
扉を閉める。
避難区画を指定。
動かない。
「どうして?」
端末へ触れる。
権限拒否。
もう一度。
同じ。
表示が、赤く染まる。
《管理系統接続中》
誰が。
敵が。
夢船の内部へ入っている。
「いおど。私の後ろへ」
大鎌を作る。
昇降機の照明が消えた。
暗闇。
いおどの手が、背中へ触れる。
「離れないで」
「うん」
非常灯。
赤。
扉が開く。
地下ではない。
医療区画。
さっきまで、少女を治療していた場所。
白い床、白い壁。
白い天井。
その中央に。
手術台。
なかったはず。
見間違い。
幻覚。
分かってる。でも。
金属の拘束具が、音を立てた。
かちり。
大鎌が消える。
「お師匠様?」
呼吸ができない。
白い光。
液体を送る音。
『少しばかり、続きを書き換えるだけだ』
「違う」
ここは、ピュアコットン。
私は十九歳。
いおどがいる。
守らないと。
右手を伸ばす。
何も出ない。
床から、四本の杭が突き出した。
音が消える。
景色が歪む。
反包絡場。
「いや」
三年前と、同じ。
指先から、マナが抜けていく。
膝をついた。
「お師匠様!」
いおどが前へ出る。
だめ。
私の後ろに。
声が出ない。
昇降機の天井が開く。
黒い装甲服。
赤い単眼。
オブリビオン兵が降りてくる。
一人。
二人。
四人。
殺しに来たんじゃない。
銃口は、私ではなく。
いおどへ向いている。
「やめて」
声になった。
掠れている。
兵士の一人が、いおどの首へ注射器を押し当てた。
「やめて!」
立つ。
反包絡場の中。
無理やり。
右手にマナを集める。
痛い。
腕の内側を、焼けた針が進む。
桃色の刃。
輪郭が崩れる。
それでも。
兵士へ振るう。
途中で消えた。
反包絡杭から、衝撃。
身体が跳ねる。
床へ倒れた。
いおどが、私の名前を呼ぶ。
兵士に抱えられている。
手を伸ばす。
届かない。
昇降機。
扉が閉まる。
「お師匠様!」
隙間から。
いおどの手だけが見えた。
閉じた。
◆
音が戻る。
私は床へ爪を立てた。
反包絡杭。
一本。
引き抜く。
爪が剥がれる。
痛くない。
二本。
マナが戻る。
三本目を、大鎌で砕く。
四本目。
蹴り折る。
立つ。
昇降機の扉へ刃を入れる。
切断。
昇降路。
上を見る。
搬送機は、もう見えない。
跳ぶ。
壁を蹴る。
一段、二段。
翼を作る。
薄桃色。
上昇。
追いつける。
いおどの匂い。
マナ反応。
まだ、近い。
「お姉様!」
白い炎が、昇降路の上を横切った。
ピュリファイア。
血に濡れている。
彼女のものじゃない。
「いおどが!」
「分かっております!」
上空。
船体の裂け目。
黒い輸送艇が浮かんでいる。
底部の扉。
閉じていく。
小さな影。
いおど。
「返して!」
マナ弾を放つ。
遠い。
弾は飛ぶ。
加速する。
輸送艇の障壁へ向けたが。
着弾の直前。
ドラゴノイドが割り込んだ。
四本の腕で、マナ弾を受ける。
腕を破壊し、胸まで陥没した。
それでも、落ちない。
敵は、私の攻撃を知っている。
いやらしく笑い、横に退く。
輸送艇が上昇する。
追おうとした私の前へハーピィの群れが滑り込み、射線を塞ぐ。大鎌を振るい、一体、二体と黒い翼を裂いた。
殺す。
三体、四体。邪魔だ、どいて。五体目を切り落としても、輸送艇は遠ざかっていく。
「お姉様!」
ピュリファイアの声。
聞こえない。
翼にもっとマナを流す。
より速く。今の速度では追いつけない。
輸送艇が、母船の影へ入る。
回収するや否や、空間が歪む。
――マナ滑走。
船体ごとマナで包んで、相転移した母船は――。
結果として、物質時間における光速を超越する。
それは、私から見れば、消失というほかなく。
待って。
いおどは。
「待って!」
手を伸ばす。
何もない。
黒い空。
私の瘴気だけが、薄桃色に漂っている。
◆
どれくらい。
空を見ていたのか。
ピュリファイアが、隣にいる。
私の腕を掴んでいる。
強く。
「離して」
「嫌です」
「追う」
「航路が分かりません」
「分からなくても」
「死にますわ」
「離して!」
振り払う。
ピュリファイアは動かない。
私より細い腕。
なのに。
びくともしない。
「落ち着いてください」
「いおどがさらわれた!」
「分かっております!」
初めて。
ピュリファイアが怒鳴った。
青い瞳。
怖いくらい。
まっすぐ、私を見ている。
「分かっております。ですから。助けるために、落ち着いてください」
息を吸う。
上手く入らない。
吐く。
もう一度。
端末が鳴った。
私のもの。
画面に、破れた歯車と赤い目。
オブリビオンの紋章。
「貸して」
ピュリファイアが手を伸ばす。
渡さない。
通信を開く。
暗い部屋。
玉座。
そこに、少女が座っていた。
幼く、美しい。
黒いドレスと、夜色の長い髪。
頬杖をつき。
こちらを見下ろしている。
『ようやく、お目通りが叶ったのう』
高い声。
口元に、笑み。
『死の魔法少女。いや』
少女の赤い瞳が、細くなる。
『今は、死と瘴気の魔女と呼ぶべきか』
「いおどは」
『無事じゃ』
画面が切り替わる。
白い部屋。
いおどが眠っている。
胸が上下している。
呼吸。
生きてる。
画面が戻る。
「誰」
少女は、嬉しそうに笑った。
『妾はノワルミア・オブリヴィオン』
玉座から立つ。
幼い姿。
その背後。
数え切れない培養槽。
生体兵器。
『オブリビオン・インダストリーズ最高経営責任者。そして』
胸へ手を当てる。
『貴様の続きを所有する者じゃ』
胃の奥が冷える。
「何が目的」
『清算』
ノワルミアは即答した。
『三年前、貴様は妾の軍を潰し、将を殺した。挙げ句、我らが与えた肉体で【特異】へ至りながら、成果を持ち逃げした』
「与えた?」
大鎌を握る。
ない。
手の中には、何もない。
『返してもらおう』
ノワルミアが、指を一本立てる。
『単騎で来い』
「……」
『貴様の飼い主、幻想公司。あとは……同盟企業か。コーポ・アレスにも知らせるな。艦隊を動かせば、弟子の生命維持を止める』
いおどの映像。
首元。
細い管。
機械へ繋がっている。
『座標は送った。期限は、背景時で二十四時間』
マナ背景時で二十四時間。
滑走中も止まらない、外の世界の時間で丸一日。
ノワルミアは玉座へ戻る。
脚を組む。
『妾の星まで来るがよい。死と瘴気の魔女』
通信が切れた。
座標。
涜船エグジラ。
星ひとつ分の敵。
「お姉様」
ピュリファイアが、私を見る。
何を言うかは分かっている。
駄目だ、罠だ、と。
一人では行かせません、と。
全部正しい。
「ごめん」
端末を閉じる。
夢船の奥へ向かう。
三年前から、一度も開けていない保管庫。
認証し、扉を開く。
暗闇の中。
桃色の装具。
幻想公司の紋章。
死の魔法少女が使っていた、古い変身バングル。
私は。
ためらいなく、それを手に取った。