MEKHANES NAVISメーカネース・ナーヴィス

01 魔法少女の最期

第一話 魔法少女の最期  死臭は、甘い。  焦げた肉。焼けた樹脂。破裂した培養槽から流れ出した、桃色の液体。  全部が混じると、安物のキャンディみたいな匂いになる。  私は、その匂いが嫌いだった。  「――こちら、カワイイスパイス。第七埠頭を制圧」  通信へ報告しながら、大鎌を振るう。  刃にまとわりついていた黒い血が、床へ弧を描いた。  金属の床へ落ちるより先に、血は霧となって消える。大鎌そのものが、マナを固めて作った一時的な武器だ。切り裂いたものへ残る傷だけが本物で、それ以外は長く現世へ留まらない。  便利なものだ。  戦いが終われば、洗わなくていい。  「応答してください。第七埠頭、制圧しました」  雑音。  遅れて、若い管制官の声が返ってきた。  『確認しました。周辺の敵性反応は――』  警告音。  私の耳元と、通信の向こうで同時に鳴る。  振り返る。  死んだはずのワイバーンが、長い首を持ち上げていた。  片翼は根元から切断されている。腹も裂け、床には臓物がこぼれていた。それでも、額へ埋め込まれた赤い目だけが生きている。  違う。  あれは目じゃない。  命令端末だ。  「まだ働かせるの?」  ワイバーンは答えない。  当然だ。  口を開ける。  喉の奥で、マナの光が灯った。  私は床を蹴る。  射出直後のマナ弾が、頬の横を通過した。  熱はない。  なのに、皮膚の内側を紙やすりで削られたように痛む。  弾は私の背後へ飛び、慣性を超えて加速する。  遠くで隔壁へ衝突した。  一拍遅れて、轟音。  分厚い装甲板が内側から膨らみ、花びらみたいに裂けた。  当たっていたら、私もああなっていた。  「危ないなあ、もう!」  大鎌を横に払う。  刃はワイバーンの首へ触れた。  固い鱗も、骨も、抵抗にはならない。  あまりに鋭いマナ境界が、肉体を断ち切る。  頭部が落ちた。  なおも赤く明滅する命令端末を、踵で踏み砕く。  今度こそ、巨体は動かなくなった。  『敵性反応、消失を確認』  「遅い」  『す、すみません』  「次から気をつけて。死体の数じゃなくて、命令端末の稼働数を見るの」  『はい!』  素直でよろしい。  私は息を吐き、大鎌の柄へ体重を預けた。  腕が震えている。  変身衣装の袖は裂け、左の脇腹には赤い線が走っていた。さっきサキュバスの爪を避け損ねた傷だ。  浅い。  痛いけど、動ける。  マナは、残り二割といったところ。  あと一戦。  大技を使わなければ、二戦。  「敵将の位置は?」  『中央培養塔、最上層です。ですが、後続部隊との合流を待ってください。単独での追撃は許可できません』  「後続は?」  『第三区画で足止めされています。合流まで、推定十二分』  長い。  敵将が撤退するには、十分すぎる。  周囲を見渡す。  培養槽。  手術台。  首輪をつけられた少女たち。  助け出した子たちは、非常用隔壁の向こうへ避難させてある。皆、幻想公司の魔法少女隊を狙った襲撃でさらわれた者たちだ。  間に合わなかった子もいる。  人の形を失ったもの。  最初から兵器として生まれたもの。  命令端末を壊した途端、自分で呼吸する方法さえ分からなくなったもの。  甘い死臭が、鼻の奥へこびりついている。  私は大鎌を握り直した。  「十二分、ここで待ちます」  『ありがとうございます。絶対に動かないでくださいね』  「はいはい」  通信を切る。  三秒待つ。  それから、中央培養塔へ走った。  ◆  扉を蹴破る。  広い。  天井が見えない。  円筒形の培養塔、その中央を貫く吹き抜け。壁一面に並んだ無数の槽から、赤と紫の光が漏れている。  最上層へ続く昇降機は止まっていた。  階段を上る時間はない。  私は大鎌を消し、両手を床へつく。  体内のマナを整流。  背中から、薄桃色の翼を展開する。  「せーのっ!」  床を蹴った。  一気に上昇する。  風が頬を叩く。  培養槽の列が、光の筋になって落ちていく。  途中の足場から、ハーピィ型の生体兵器が飛び出した。  三体。  いや、五体。  羽根を飛ばしてくる。  金属質の羽根には、微細なマナ包絡が形成されていた。軌道がわずかに曲がり、私のマナ反応を追ってくる。  「邪魔!」  翼をたたみ、落下。  頭上を羽根が通り過ぎる。  すぐに翼を開き直し、足場へ着地。膝が悲鳴を上げた。  痛みを無視して、掌を突き出す。  マナの塊を、撃つ。  一発目は遅い。  ハーピィが避ける。  でも、二発目は一発目より遠くへ撃った。  飛翔距離を稼いだ光弾が加速し、弧を描いて戻ってくる。  背後から、命中。  ハーピィの胴体が折れた。  続く二体も、同様に。  四体目が爪を立てる。  近い。  魔法を撃つより、殴ったほうが速い。  私は身体をひねり、拳を頬へ叩き込んだ。  接触の瞬間、拳を覆っていたマナ包絡を復相させる。  衝撃が皮膚の表面を飛び越え、頭蓋の内側で弾けた。  ハーピィが崩れ落ちる。  最後の一体は、逃げた。  追わない。  息を吸う。  肺が焼ける。  残り一割。  もう大技は使えない。  でも、最上層はすぐそこだ。  扉の向こうから、拍手が聞こえた。  ゆっくり。  こちらを馬鹿にするような、三度の拍手。  私は扉へ手をかけた。  「随分と派手に荒らしてくれたな、魔法少女」  低い声。  扉の向こう。  敵将がいる。  「荒らされたくないなら、最初から女の子をさらわないことね」  扉を開く。  黒い角。  四本の腕。  筋肉の上を覆う外骨格。  襲撃部隊を率いた魔将が、巨大な戦斧を担いで立っていた。  その背後には、星図が映し出されている。  逃走経路の計算は、ほとんど終わっていた。  やっぱり。  十二分も待っていたら、逃げられていた。  「一人か。舐められたものだ」  「一人で十分」  嘘。  できれば三人くらい欲しい。  あと、休憩と甘いもの。  でも、顔には出さない。  魔法少女は、いつだって画面の向こうで見られている。  痛くても。  怖くても。  最後には、笑っていないといけない。  私は口角を上げた。  「死の魔法少女、カワイイスパイス」  大鎌を再形成する。  輪郭が揺れる。  マナ不足。  分かってる。  「あなたの悪事、ここで首ごと断つわ」  「小娘が!」  戦斧が振り下ろされた。  受けない。  あんな質量を障壁で受けたら、まとめて潰される。  横へ跳ぶ。  床が砕けた。  破片が頬へ刺さる。  敵将は戦斧を持ち上げ、そのまま横薙ぎへつなげた。  速い。  大鎌の柄を挟み、軌道を逸らす。  腕が痺れた。  軽い大鎌で受け続ければ、次は腕ごと持っていかれる。  私は柄を手放した。  大鎌が消える。  支えを失った戦斧が流れ、敵将の上体が泳ぐ。  懐へ。  拳。  一発。  外骨格が硬い。  二発。  拳を覆うマナが薄れる。  三発目。  敵将の膝が、私の腹へ突き刺さった。  「――っ!」  身体が浮く。  床を転がった。  息ができない。  胃の中身が喉まで上がる。  敵将の足音が近づいてきた。  立て。  立たないと。  腕へ力を入れる。  肘が震えるだけだった。  「終わりだ」  頭上へ戦斧が持ち上がる。  その向こう。  敵将の左目と、私の目が合った。  ――使える。  嫌いな技だけど。  この際、文句は言っていられない。  「《ケイオスディーラー》」  瞳に残っていた、最後のマナを燃やす。  本来は、相方と一緒に打つ奥義。  私一人でも使えないことはない。けれど、配った異常をあべこべに直す相手がいなければ、効果は半分以下。どの異常が強く出るかも選べない。  だから、単騎では奥の手だった。  敵将の全身が跳ねた。  引いたのは、たぶん絶頂。  「な、にを……!」  筋肉が命令を失い、戦斧が手から滑り落ちる。  床へ激突。  敵将は膝をついた。  私は立ち上がる。  足がふらつく。  視界も暗い。  それでも、右手を伸ばす。  大鎌を作るだけのマナは残っていない。  だから、小さく。  短く。  一本の刃だけを、掌から伸ばした。  「おやすみ」  敵将の首へ突き立てる。  現世に復相した刃が、外骨格の隙間を裂いた。  黒い血が噴き出す。  巨体が倒れた。  星図の光が消える。  私は、その場へ座り込んだ。  勝った。  『カワイイスパイス! 応答してください!』  切ったはずの通信が、緊急回線で割り込んできた。  「聞こえてる」  『中央培養塔から敵将の反応消失を確認! まさか、本当に一人で……』  「一人で十分って、言ったでしょ」  『命令違反です!』  「ごめんごめん」  笑う。  上手く笑えたと思う。  『後続部隊が到着します。そこを動かないでください。今度こそですよ!』  「もう動けないから、安心して」  変身が解ける。  光の粒になって衣装が消え、下に着ていた戦闘服へ戻った。  急に身体が重くなる。  冷たい床へ仰向けになると、吹き抜けの天井が見えた。  遠い。  小さな白い光が、星みたいに瞬いている。  帰ったら、甘いものを食べよう。  できれば、りんごのケーキ。  お風呂にも入りたい。  血の匂いを落として。  よく眠って。  それから――。  足音が聞こえた。  ようやく後続が来たらしい。  「遅いよ」  返事はない。  おかしい。  幻想公司の制式靴とは音が違う。  重く、揃っている。  私は首を動かした。  黒い装甲服。  赤い単眼。  破れた歯車の紋章。  オブリビオン。  「――予備、部隊」  最初から。  敵将を討ったあと、私のマナが尽きるのを待っていた。  通信へ叫ぶ。  「罠! 中央培養塔に――」  音が消えた。  景色だけが、奇妙に歪む。  兵士の一人が、杭のような装置を床へ打ち込んでいた。  続けて三本。  四方を囲む。  杭の間へ、透明な膜が広がった。  体内へ残っていたマナが、引き剥がされる。  指先から力が抜けた。  声も出ない。  反包絡場。  魔法少女を捕まえるために作られた檻。  逃げないと。  立たないと。  何度命じても、身体は床に貼りついたままだった。  黒い靴が近づく。  私の手首を踏む。  痛い。  でも、叫べない。  首筋へ、冷たい針が刺さった。  視界が沈む。  白い光が、遠ざかる。  ◆  目を開ける。  白。  眩しい。  天井の照明が、目の奥を焼いている。  腕が動かない。  脚も。  金属の拘束具が、手首と足首を台へ固定していた。  口には何かを噛まされている。  息が浅い。  機械音。  液体を送る音。  刃物が並べられる音。  黒い人影が、照明の向こうから私を覗き込む。  顔は見えない。  鳥の嘴みたいな、ペストマスク。  その人物は、舞台へ上がった役者のように両腕を広げた。  「やあ、カワイイスパイス君。こちらでは初めまして」  低い女の声だった。  それでいて、明るい。  楽しそうな声。  「素晴らしい戦闘だった。命令違反を差し引いても満点をあげよう」  何を。  言っているの。  「なに、そう怯えることはない。君の人生が終わるわけではないとも」  マスクの奥で、笑った気配がした。  「少しばかり、続きを書き換えるだけだ」  機械の腕が降りてくる。  逃げられない。  声も出ない。  白い光の中で、私は目を閉じた。  その日。  魔法少女カワイイスパイスは、死んだ。  ◆  三年後。  鏡の中に、同じ目をした女がいる。  ショッキングピンクの髪。  もう、魔法少女ではない私。  その背後で、六歳の子供が無邪気に笑った。  「お師匠様。ごはん、まだ?」